輿亮

日本のアメリカンフットボールの元選手

輿 亮(こし まこと、1959年11月10日[1] - )は、日本のアメリカンフットボールの元選手・指導者・解説者、および光学技術者。子に元水曜日のカンパネラコムアイ[2]cadodeのkoshi。

 輿 亮
基本情報
生年月日 (1959-11-10) 1959年11月10日(65歳)
国籍 日本の旗 日本
出身地 東京都世田谷区
経歴
高校 麻布高等学校
大学 東京大学
所属歴
選手
1985-88 富士通フロンティアーズ
コーチ
1988-97 富士通フロンティアーズ

概要

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東京都世田谷区出身[3]麻布中学校時代にアメフトと出会い、高校卒業まで続ける[3]東京大学工学部機械工学科在学中にアメリカンフットボール部(ポジションは守備バックとランニングバック)で活動。1983年に卒業[4]後は富士通に入社。レーザープリンターの開発[4]など製品技術開発に携わりつつ競技活動も続け、1985年にアメフトの企業内チームである富士通フロンティアーズが発足する際は、選手としてその設立に関与した。1990年1997年同チームの監督を経たのち、富士通フロンティアーズ副部長を務めた[5]。また、アメフト国際試合における日本代表チームの編成などマネージメントを、日本アメリカンフットボール協会の一員として務めた。NHK-BSのNFL中継の解説は1995年から2020年まで26年続けた。2021年シーズンよりNFL GAME PASSでの日本語実況の解説を務める。(他にスペイン語、ドイツ語での実況あり) 川崎市でのアメフト観戦講義の講師なども務める。現在は、公益社団法人 日本アメリカンフットボール協会常務理事(フラッグフットボール担当)、および国際アメリカンフットボール連盟理事(普及担当)。

富士通の社員としては、前述のレーザープリンター開発関連として1983年〜1990年は電子写真プロセス、トナー、光源、印字品質などに携わっており、1995年〜2001年12月はビジネスの企画および海外OEM開拓、出荷製造装置(生産技術)フォロー、2001年12月以降は富士通グループ内の教育部門、2008年からは広報IR室、2012年からはパーソナルビジネス本部でコンタクトセンターを担当した[3]。その後、再び富士通グループ内の人材育成に携わり、19年3月退職[3]

脚注

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関連項目

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外部リンク

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