足立原健二
足立原 健二(あだちはら けんじ、1984年11月8日 - )は、神奈川県相模原市出身のプロサッカー選手。ポジションはフォワード。
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名前 | ||||||
カタカナ | アダチハラ ケンジ | |||||
ラテン文字 | ADACHIHARA Kenji | |||||
基本情報 | ||||||
国籍 | 日本 | |||||
生年月日 | 1984年11月8日(40歳) | |||||
出身地 | 神奈川県相模原市 | |||||
身長 | 175cm | |||||
体重 | 66kg | |||||
選手情報 | ||||||
ポジション | FW | |||||
利き足 | 右足 | |||||
ユース | ||||||
2000 | 習志野高校 | |||||
2001-2002 | 流通経済大学付属柏高校 | |||||
2003-2006 | 流通経済大学 | |||||
クラブ1 | ||||||
年 | クラブ | 出場 | (得点) | |||
2007 | ビアンコーネ福島 | 14 | (25) | |||
2008 | JAPANサッカーカレッジ | 5 | (2) | |||
2009 | アルビレックス新潟S | 26 | (16) | |||
2009-2011 | ボンタンFC | 54 | (30) | |||
2011-2012 | ペルシバ・バリクパパン | 31 | (13) | |||
2012-2013 | ペルシブ・バンドン | 29 | (10) | |||
2014 | ペルシタ・タンゲラン | 19 | (7) | |||
1. 国内リーグ戦に限る。2015年9月6日現在。 ■テンプレート(■ノート ■解説)■サッカー選手pj |
来歴
編集学生時代
編集2000年、千葉県の習志野高校に入学したが、翌年サッカー部監督の本田裕一郎が流通経済大学付属柏高校へ転任したため、同期の近藤祐介、船山祐二、深津康太、阿部嵩らと共に同校へ編入した[1]。他の同級生には大谷秀和(サッカー部ではなく柏レイソルユース所属)がいる。
高校卒業後は流通経済大学に進学。4年時の2006年には関東大学サッカーリーグ戦1部で創部以来初の優勝を達成したが、難波宏明、池田圭、西弘則など後のJリーガーを数多く擁したチームの中で目立った活躍は出来なかった[1][2]。
プロ入り後
編集大学卒業後は福島県内の一般企業に就職したが、サッカーを続ける道を模索し、知人のつてを辿って当時東北2部南リーグに所属していたビアンコーネ福島に加入。迎えた2007年シーズンのリーグ戦で14試合出場25得点という大活躍を見せ、チームの優勝・東北1部リーグ昇格に大きく貢献すると共に、リーグ得点王のタイトルを獲得した[1][2]。
同年末、アルビレックス新潟シンガポールとJAPANサッカーカレッジの合同トライアルに合格。2008年は北信越1部リーグのJAPANサッカーカレッジに所属したが、ブランクの影響もありレギュラーポジション獲得には至らなかった[1]。
2009年、Sリーグのアルビレックス新潟シンガポールに移籍すると、開幕から得点を量産。チームトップの16得点を挙げ、シーズン途中の同年10月、インドネシア・スーパーリーグのボンタンFCに移籍した。移籍後に行われたSリーグアウォーズではベストイレブンにも選出された[1]。
ボンタンFCでもエースストライカーとして活躍し、移籍後の2009-2010シーズンから2年連続で得点ランキング4位の15得点を記録[2]。2010-2011シーズン終了後、ペルシバ・バリクパパンに引き抜かれた[2]。
2011-2012シーズンもリーグ戦13得点を挙げ、2013年シーズンよりインドネシアのペルシブ・バンドンに移籍。2014年はペルシタ・タンゲランでプレーしたが、同シーズンオフにミャンマーのクラブに練習参加した際、左膝の前十字靭帯と半月板を損傷する大怪我を負い、前十字靭帯(ACL)再建手術を受けたことを自身のブログ上で報告した[3]。
所属クラブ
編集- 田名SC
- FCコラソン
- 2000年 習志野市立習志野高等学校サッカー部
- 2001年 - 2002年 流通経済大学付属柏高等学校サッカー部
- 2003年 - 2006年 流通経済大学サッカー部
- 2007年 ビアンコーネ福島
- 2008年 JAPANサッカーカレッジ
- 2009年 アルビレックス新潟シンガポール
- 2009年 - 2011年 ボンタンFC
- 2011年 - 2012年 ペルシバ・バリクパパン
- 2012年 - 2013年 ペルシブ・バンドン
- 2014年 ペルシタ・タンゲラン
個人成績
編集国内大会個人成績 | |||||||||||
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年度 | クラブ | 背番号 | リーグ | リーグ戦 | リーグ杯 | オープン杯 | 期間通算 | ||||
出場 | 得点 | 出場 | 得点 | 出場 | 得点 | 出場 | 得点 | ||||
日本 | リーグ戦 | リーグ杯 | 天皇杯 | 期間通算 | |||||||
2005 | 流経大 | 8 | JFL | 2 | 0 | - | - | 2 | 0 | ||
2006 | 12 | 2 | 0 | - | 0 | 0 | 2 | 0 | |||
2007 | V福島 | 24 | 東北2部南 | 14 | 25 | - | 1 | 0 | 15 | 25 | |
2008 | JSC | 27 | 北信越1部 | 5 | 2 | - | - | 5 | 2 | ||
シンガポール | リーグ戦 | リーグ杯 | シンガポール杯 | 期間通算 | |||||||
2009 | 新潟S | 14 | Sリーグ | 26 | 16 | 2 | 0 | 5 | 2 | 33 | 17 |
インドネシア | リーグ戦 | リーグ杯 | オープン杯 | 期間通算 | |||||||
2009-10 | ボンタン | 9 | スーパーリーグ | 28 | 15 | ||||||
2010-11 | 10 | 26 | 15 | ||||||||
2011-12 | ペルシバ | 9 | 31 | 13 | |||||||
2013 | ペルシブ | 11 | 29 | 10 | |||||||
2014 | ペルシタ | 10 | 19 | 7 | |||||||
通算 | 日本 | JFL | 4 | 0 | - | 0 | 0 | 4 | 0 | ||
日本 | 北信越1部 | 5 | 2 | - | 0 | 0 | 5 | 2 | |||
日本 | 東北2部南 | 14 | 25 | - | 1 | 0 | 15 | 25 | |||
シンガポール | Sリーグ | 26 | 16 | 2 | 0 | 5 | 2 | 33 | 17 | ||
インドネシア | スーパーリーグ | 133 | 60 | ||||||||
総通算 | 182 | 103 | 2 | 0 | 6 | 2 |
タイトル
編集クラブ
編集- 関東大学サッカーリーグ戦1部 : 2006年
- 東北2部南リーグ : 2007年
個人
編集- 東北2部リーグ南 得点王 : 1回(2007年)
- Sリーグ ベストイレブン : 1回(2009年)
脚注
編集- ^ a b c d 第1回 アジアで追うサッカーの夢 MVPや得点上位争う - 朝日新聞GLOBE 2012年3月18日
- ^ 来るべきして来た!! - Kenji Adachihara 公式ブログ 2014年12月21日
関連項目
編集外部リンク
編集- 公式ホームページ(ブログもこちらに移転)
- 公式ブログ(2015年1月まで) - ウェイバックマシン(2010年2月7日アーカイブ分)