足立仁

日本の農学者、微生物学者 (1897-1978)

足立 仁(あだち まさし、1897年明治30年〉11月13日 - 1978年昭和53年〉1月25日)は、日本の農学者微生物学者

足立 仁
(あだち まさし)
人物情報
生誕 (1897-11-13) 1897年11月13日
日本の旗 日本
北海道
死没 (1978-01-25) 1978年1月25日(80歳没)
出身校 北海道帝国大学
学問
研究機関 台北帝国大学
大阪府立大学
玉川大学
学位 農学博士(北海道大学・1965年)
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略歴

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1897年、東京府出身(北海道生まれ[1])。1921年(大正10年)に北海道帝国大学農学部農芸化学科卒業後、同大学助教授。台湾総督府高等農林学校教授などを経て、欧米遊学後の1928年(昭和3年)に台北帝国大学助教授に着任、1937年(昭和12年)同教授に昇任して務めた[2]。ちなみに、台湾時代に住んでいた住居(台北市昭和町)は現在も同地で保存されており、レストラン「青田七六」として営業している[3]

戦後は、大阪府立大学玉川大学などの教授を務めた。1965年に論文「Mikrobiologisch und Mikrobiochemische Untersuchungen uber die Rhizosphare der Kultur-pflanzen zur Verbesserung der Bodenfruchtbarkeit in den Tropen-und Subtropen-Bodenあ(熱帯及び亜熱帯における栽培作物の土地改良による根圏の微生物学的及び微生物化学的研究) 」[4]北海道大学に提出して 農学博士号を取得。

家族・親族

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脚注

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  1. ^ 『大衆人事録. 第14版 外地・満支・海外篇』足立仁の項
  2. ^ 陳瑜「台北帝国大学理農学部農芸化学科に関する研究」『東洋史訪』第13巻、兵庫教育大学東洋史研究会、2007年、44頁、ISSN 13466917NAID 120001073498 
  3. ^ 片倉佳史の台湾便り
  4. ^ 博士論文書誌データベース

参考文献

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  • 帝国秘密探偵社『第十三版 大衆人事録 外地、満・支・海外篇』1940年