趙 賽月(ちょう さいげつ、1118年 - ?)は、北宋の徽宗の第30皇女(夭逝を除いて第19皇女)。
華福帝姫の位を授けられた。
靖康の変後、華福帝姫は金に連行された。洗衣院で育てられ、成長後に熙宗に献じられた。天会13年(1135年)5月に夫人に封ぜられ、皇統2年(1142年)3月に妃にいたった。以後の動静は不明であるが、『三朝北盟会編』(1162年完成)によると、同書の頃までに金で没したという。