趙 弘(ちょう こう、? - 184年)は、中国後漢時代末期の武将。南陽黄巾軍(黄巾賊)の指揮官の1人。

正史の事跡

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姓名 趙弘
時代 後漢時代
生没年 生年不詳 - 184年中平元年)
字・別号 〔不詳〕
出身地 〔不詳〕
職官 〔黄巾軍指揮官〕
爵位・号等 -
陣営・所属等 張角
家族・一族 〔不詳〕

中平元年(184年)、南陽黄巾軍の張曼成配下として城に籠り、官軍の朱儁らと対峙した。張曼成が南陽太守の秦頡によって戦死すると、趙弘は張曼成の後を継いで指揮官となり、黄巾軍をまとめて宛城に立て籠もった。官軍の包囲を数ヶ月耐えるが、更迭の噂に焦った朱儁に急遽攻撃されたことで戦死する。

物語中の趙弘

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小説『三国志演義』では同僚の韓忠孫仲と共に宛城に立て篭もり、官軍の朱儁・劉備と戦っている。降伏を許されなかったため徹底抗戦するが、加勢に現れた孫堅に討たれる。

参考文献

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