赤松 政直(あかまつ まさなお)は、戦国時代から安土桃山時代にかけての武将播磨国早瀬城主。

 
赤松政直
時代 戦国時代 - 安土桃山時代
生誕 不明
死没 天正5年12月3日1578年1月10日
別名 次郎
氏族 赤松氏
父母 赤松政元
兄弟 正満政範政直政茂横山義祐
福原則尚
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略歴

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赤松政元の三男として誕生[1]

天正5年(1577年)、羽柴秀吉が播磨上月城に攻め寄せた時、兄・政範に味方した。評定時に「上月城で籠城し、たとえ勝利しても兵力の損害が大きく(次に攻められた時には)不利になり我が家は滅亡してしまうのが明白である。姫路まで進軍し、秀吉軍と決戦を臨むべきであると思う。そうすれば、東播磨の諸友たちも加勢して局面は新たな方向に向かうだろう」と籠城策よりも姫路まで打って出ての野戦を主張した。織田軍に敗北後、兄・政範ら一族と共に自害した。一説には城を脱出し、行方不明になったともいわれている。

脚注

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  1. ^ 政範の兄という説もある。