赤木 鉄夫(あかぎ てつお、1899年明治32年〉9月14日[1][2] - 没年不明)は、昭和時代前期の逓信官僚陸軍司政長官

経歴

編集

伊勢次郎の三男として岡山県に生まれる[1][2]旧制岡山中学旧制六高を経て、1924年(大正13年)に東京帝国大学法学部独法科を卒業する[1]。逓信省に奉職し、同省経理局主計課勤務、釧路郵便局長、中央電話局府加入課長、札幌逓信局規画課長、広島逓信局監督課長、地方海員審判所審判官、東京地方逓信局海事部長、東京都市逓信局監督課長、中央航空研究所総務部長、貯金局総務課長、逓信書記官・逓信官吏練習所長を経て、1942年(昭和17年)8月、陸軍司政長官に就任した[2]。1944年(昭和19年)8月、名古屋逓信局長に就任した[3]

戦後、玉野市長選に立候補するも落選した[4]

脚注

編集
  1. ^ a b c 日本官界情報社 1942, 16頁.
  2. ^ a b c 帝国秘密探偵社 1943, 海外1頁.
  3. ^ 「名逓局長に赤木氏」『朝日新聞朝日新聞社、1944年8月24日、東京朝刊、1面。
  4. ^ 玉野市史編纂委員会 1987, 789頁.

参考文献

編集