賀島重玄
日本の江戸時代前期の武士。阿波徳島藩家老賀島政重長男で、阿波賀島氏4代当主(部屋住料2000石→家督相続後1万石)。家老を勤めた
賀島 重玄(かしま しげはる、元和8年(1622年) - 延宝8年4月10日(1680年5月8日))は、阿波徳島藩家老賀島家4代当主。父は蜂須賀家家老・賀島政重。正室は水野成貞の娘。子は賀島重郷。幼名は万助。通称は主水。
時代 | 江戸時代前期 |
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生誕 | 元和8年(1622年) |
死没 | 延宝8年4月10日(1680年5月8日) |
別名 | 主水(通称) |
戒名 | 万助(幼名)→重玄 |
主君 | 蜂須賀忠英→徳川秀忠→徳川家光 |
氏族 | 賀島氏 |
父母 | 父:賀島政重 |
兄弟 | 賀島冬知、林貞恒 |
妻 | 正室:水野成貞の娘(蜂須賀至鎮娘正徳院の娘) |
子 | 重郷 |
生涯
編集元和8年(1622年)、賀島政重の長男として徳島に生まれる。寛永5年(1628年)、江戸に出府して幕府の証人となる。寛永17年(1640年)、阿波に帰国。藩主・蜂須賀忠英より部屋住料として1000石を給される。慶安5年(1652年)、1000石の加増を受け知行2000石。
万治3年(1660年)、家督相続し知行1万石となる。寛文元年(1661年)、仕置家老を拝命する。延宝8年(1680年)4月10日、死去。享年59。家督は嫡男の重郷が相続した。
系譜
編集参考文献
編集- 「阿南市史」