貴陽府

貴州省にあった行政単位

貴陽府(きようふ)は、中国にかつて存在した明代から民国初年にかけて、現在の貴州省貴陽市一帯に設置された。

貴州省の貴陽府の位置(1820年)

概要

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1476年成化12年)、明により程番長官司に程番府が置かれた。1569年隆慶3年)、程番府は貴陽府と改称された。1601年万暦29年)、貴陽府は貴陽軍民府と改められた。貴陽軍民府は貴州省に属し、新貴貴定の2県と開州広順州定番州の3州と程番長官司・小程番長官司・上馬橋長官司・盧番長官司・韋番長官司・方番長官司・洪番長官司・臥竜番長官司・小竜番長官司・大竜番長官司・金石番長官司・羅番長官司・盧山長官司・木瓜長官司・麻響長官司・大華長官司の16長官司を管轄した[1][2]

1687年康熙26年)、により貴陽軍民府は貴陽府と改められた。貴陽府は貴州省に属し、貴筑・貴定・竜里修文・開州・広順州・定番州・羅斛庁の1庁3州4県を管轄した[3]

1913年中華民国により貴陽府は廃止された。

脚注

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  1. ^ 明史』地理志七
  2. ^ 『明史』土司伝七では18長官司とし、地理志にない貴竹・平伐の名がみえる
  3. ^ 清史稿』地理志二十二