貝姫
日本の江戸時代の人物、仙台藩第2代藩主伊達忠宗の側室
貝姫(かいひめ、寛永元年(1624年) - 寛永19年2月15日(1642年3月15日))は、仙台藩第2代藩主伊達忠宗の側室。
生涯
編集寛永元年(1624年)、櫛笥隆致の次女として生まれる。
寛永16年(1639年)、仙台藩伊達家では京都留守主居佐藤市兵衛に命じ、忠宗の側室を選定させた。市兵衛は京都の商人象牙屋茂兵衛に周旋させたところ、素性を秘して貝姫を紹介し、同年6月3日茂兵衛の証文で仙台に下ったという。寛永17年(1640年)8月8日、巳之助丸(のちの伊達綱宗)を仙台城二の丸で産む。
寛永19年(1642年)2月15日歿す。享年19[1]。得生院と法諡し、仙台市の善導寺に葬られた。
死去に際し自分の素性を侍婢に告げていたため、櫛笥隆致の次女であったことが判明したという。
姉の櫛笥隆子は宮中に入って後水尾天皇の側室となり、9人の子をもうけた。そのうちの一人の花町宮良仁親王は、111代の後西天皇となった。
系譜
編集参考文献
編集- 平重道「仙台藩の歴史」 1970年、宝文堂
脚注
編集- ^ 貝姫の享年について、善導寺の記録には19歳となっているが、父の櫛笥隆致は慶長18年(1613年)に亡くなっている。そのころ貝姫が生誕したとすれば、寛永19年(1642年)には30歳となり、30歳以上で歿したことになる。いずれかの記録に誤りがあるとしている。