豊 永光(ゆたか えいこう、1916年10月3日[1] - 2001年7月12日[2])は、日本の政治家自由民主党衆議院議員(1期)。名瀬市(1期)。

豊永光
ゆたか えいこう
生年月日 1916年10月3日
出生地 日本の旗 日本 鹿児島県
没年月日 (2001-07-12) 2001年7月12日(84歳没)
出身校 東京帝国大学法学部卒業
前職 熊本営林局長
所属政党無所属→)
自由民主党→)
無所属

選挙区 旧奄美群島区
当選回数 1回
在任期間 1969年12月27日 - 1972年11月13日

当選回数 1回
在任期間 1986年2月20日 - 1990年2月19日
テンプレートを表示

経歴

編集

鹿児島県出身。鹿児島県立大島中学校 (旧制)四年修了で第七高等学校造士館 (旧制)に進学、卒業[3]1939年高等試験行政科試験に合格[4]、翌年東京帝国大学法学部を卒業[5]農林省に入り、畜産局資料課長、大臣官房広報課長、大阪、熊本の各営林局長となり[5]1967年第31回衆議院議員総選挙奄美群島区から無所属で立候補したが落選[6]1969年第32回衆議院議員総選挙保岡武久を破り、初当選した。しかし、1972年第33回衆議院議員総選挙では保岡武久の息子の保岡興治に敗れて落選。次の第34回衆議院議員総選挙でも立候補したが落選した。

1986年の名瀬市長選挙に立候補して当選[1]。1期務めた。

1990年名瀬市長選挙

編集

1990年の市長選挙では徳田虎雄の支援を受けたが、保岡興治の支援を受けた前名瀬市助役の成田広男に674票差で敗れた[7][8]

※当日有権者数:-人 最終投票率:87.03%(前回比:-pts)

候補者名年齢所属党派新旧別得票数得票率推薦・支持
成田広男64無所属14,033票51.2%-
豊永光73無所属13,359票48.8%-

1994年の市長選挙に再び立候補したが、現職の成田に敗れた。2001年死去。

脚注

編集
  1. ^ a b 『新訂 現代政治家人名事典 : 中央・地方の政治家4000人』574頁。
  2. ^ 新訂 政治家人名事典 明治~昭和『豊 永光』 - コトバンク
  3. ^ 右田昭進 編著『奄美(しまんちゅ)の群像 奄美が生んだ20世紀の人物総覧』(交文社、2000年)84頁。
  4. ^ 『日本官僚制総合事典:1868 - 2000』335頁。
  5. ^ a b 『議会制度百年史 衆議院議員名鑑』699頁。
  6. ^ 国会便覧 昭和44年版 第38版』 - 国立国会図書館デジタルコレクション
  7. ^ 新聞研究 (465)』 - 国立国会図書館デジタルコレクション
  8. ^ 月刊社会党 (415)』 - 国立国会図書館デジタルコレクション

参考文献

編集
  • 衆議院・参議院『議会制度百年史 - 衆議院議員名鑑』大蔵省印刷局、1990年。
  • 『新訂 現代政治家人名事典 : 中央・地方の政治家4000人』日外アソシエーツ、2005年。
公職
先代
大津鉄治
 鹿児島県名瀬市長
1986年 - 1990年
次代
成田広男