豊崎 (大阪市)
大阪市北区の町
豊崎(とよさき)は、大阪府大阪市北区の町名。現行行政地名は豊崎一丁目から豊崎七丁目。
豊崎 | |
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北緯34度42分49.86秒 東経135度30分1.8秒 / 北緯34.7138500度 東経135.500500度 | |
国 | 日本 |
都道府県 | 大阪府 |
市町村 | 大阪市 |
区 | 北区 |
町名制定 | 1977年(昭和52年) |
面積 | |
• 合計 | 0.643061711 km2 |
人口 | |
• 合計 | 6,030人 |
• 密度 | 9,400人/km2 |
等時帯 | UTC+9 (日本標準時) |
郵便番号 |
531-0072[3] |
市外局番 | 06(大阪MA)[4] |
ナンバープレート | なにわ |
本項では町名の由来となった、かつての西成郡豊崎町(とよさきちょう)についても述べる。
地理
編集東は本庄西、南東に中崎、南に中崎西、鶴野町、茶屋町、芝田、西に中津、北に西中島と隣接している。
河川
編集歴史
編集とよさきちょう 豊崎町 | |
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廃止日 | 1925年4月1日 |
廃止理由 |
編入合併 西成郡・東成郡計17町27村→大阪市 (大阪市第二次市域拡張) |
現在の自治体 | 大阪市 |
廃止時点のデータ | |
国 | 日本 |
地方 | 近畿地方 |
都道府県 | 大阪府 |
郡 | 西成郡 |
市町村コード | なし(導入前に廃止) |
総人口 |
56,110人 (国勢調査、1920年) |
隣接自治体 |
大阪市(北区) 西成郡中津町・西中島町 東成郡城北村 |
豊崎町役場 | |
所在地 | 大阪府西成郡豊崎町大字本庄 |
座標 | 北緯34度42分44.3秒 東経135度30分6.3秒 / 北緯34.712306度 東経135.501750度 |
ウィキプロジェクト |
現行住居表示の豊崎は、かつて存在した西成郡豊崎町の西部に当たる。孝徳天皇の難波長柄豊碕宮の比定地であったことに由来するが、後年の発掘調査により、比定地は中央区法円坂が有力になっている。
沿革
編集- 1889年(明治22年)4月1日 - 町村制の施行により、西成郡南浜村・本庄村・北長柄村・南長柄村・国分寺村が合併して豊崎村が発足。
- 1897年(明治30年)4月1日 - 大阪市第一次市域拡張により、豊崎村大字南浜・本庄のそれぞれ一部と国分寺の全域が大阪市へ編入され、北区豊崎大字南浜・本庄・国分寺となる。同じく一部が大阪市へ編入された西成郡川崎村の残余を編入し、大字川崎を追加。
- 1900年(明治33年) - 北区へ編入された豊崎村・川崎村の旧村域に以下の町名が成立(一部は天神橋筋・天満橋筋に編入)。
- 南浜町・本庄西権現町・本庄東権現町・本庄葉村町・本庄横道町・本庄中野町・本庄黒崎町・本庄浮田町・天神橋筋西・天神橋筋東・天満橋筋西・樋之口上之町・樋之口下之町
- 1912年(明治45年)1月1日 - 豊崎村が町制を施行し、西成郡豊崎町となる。
- 1924年(大正13年) - 北区が以下の町名に改編。
- 1925年(大正14年)4月1日 - 大阪市第二次市域拡張により、西成郡豊崎町が大阪市へ編入され、東淀川区南浜町・本庄町・川崎町・北長柄町・南長柄町となる。
- 1927年(昭和2年) - 東淀川区が以下の町名に改編。
- 豊崎西通・豊崎東通・南浜町・本庄西通・本庄中通・本庄東通・本庄川崎町・天神橋筋・長柄西通・長柄中通・長柄東通・長柄浜通。
- 1943年(昭和18年)4月1日 - 東淀川区へ編入された豊崎町の旧町域が大淀区へ転属。同時に北区との境界が変更され、境界付近の町名が両区にまたがる。
- 1944年(昭和19年) - 北区が両区にまたがる町名の一部を改編し、以下の町名が成立。
- 東和町(もと豊崎西通の北区側)・豊宮町(もと豊崎東通の北区側)・豊島町(もと南浜町の北区側)・菅栄町(もと国分寺町の北区側)。
- 1977年(昭和52年) - 大淀区が現行住居表示を実施し、以下の町名が成立。
- 1978年(昭和53年) - 北区が現行住居表示を実施し、以下の町名が成立。
- 1989年(平成元年)2月13日 - 北区と大淀区の合区により、全域北区に所属。
産業
編集- 農業
世帯数と人口
編集2019年(平成31年)3月31日現在の世帯数と人口は以下の通りである[2]。
丁目 | 世帯数 | 人口 |
---|---|---|
豊崎一丁目 | 712世帯 | 1,046人 |
豊崎二丁目 | 437世帯 | 560人 |
豊崎三丁目 | 372世帯 | 541人 |
豊崎四丁目 | 963世帯 | 1,542人 |
豊崎五丁目 | 476世帯 | 680人 |
豊崎六丁目 | 491世帯 | 823人 |
豊崎七丁目 | 517世帯 | 838人 |
計 | 3,968世帯 | 6,030人 |
人口の変遷
編集国勢調査による人口の推移。
1995年(平成7年) | 4,447人 | [6] | |
2000年(平成12年) | 4,400人 | [7] | |
2005年(平成17年) | 4,638人 | [8] | |
2010年(平成22年) | 5,311人 | [9] | |
2015年(平成27年) | 6,146人 | [10] |
世帯数の変遷
編集国勢調査による世帯数の推移。
1995年(平成7年) | 2,030世帯 | [6] | |
2000年(平成12年) | 2,310世帯 | [7] | |
2005年(平成17年) | 2,556世帯 | [8] | |
2010年(平成22年) | 3,219世帯 | [9] | |
2015年(平成27年) | 3,783世帯 | [10] |
学区
編集市立小・中学校に通う場合、学区は以下の通りとなる[11]。北区内の全ての市立中学校と、大阪市内の小中一貫校が対象で学校選択が可能(抽選を実施)。
丁目 | 番 | 小学校 | 中学校 |
---|---|---|---|
豊崎一丁目 | 全域 | 大阪市立豊崎小学校 | 大阪市立豊崎中学校 |
豊崎二丁目 | 全域 | ||
豊崎三丁目 | 全域 | ||
豊崎四丁目 | 全域 | ||
豊崎五丁目 | 全域 | ||
豊崎六丁目 | 全域 | ||
豊崎七丁目 | 全域 |
事業所
編集2016年(平成28年)現在の経済センサス調査による事業所数と従業員数は以下の通りである[12]。
丁目 | 事業所数 | 従業員数 |
---|---|---|
豊崎一丁目 | 58事業所 | 339人 |
豊崎二丁目 | 119事業所 | 1,123人 |
豊崎三丁目 | 471事業所 | 8,105人 |
豊崎四丁目 | 68事業所 | 1,052人 |
豊崎五丁目 | 166事業所 | 3,219人 |
豊崎六丁目 | 51事業所 | 1,004人 |
豊崎七丁目 | 39事業所 | 240人 |
計 | 972事業所 | 15,082人 |
施設
編集- ピアスタワー
- 大阪市立豊崎小学校
- カトリック大阪梅田教会
- 豊崎神社
- 源光寺
- 玉圓寺
- 提法寺
- 円乗寺
- 豊崎北公園
- 豊崎東公園
- 豊崎中公園
- 豊崎西公園
- ホテルコムズ大阪
- 西日本ジェイアールバス大阪北営業所
- かつて存在した施設
交通
編集鉄道
編集バス
編集その他
編集日本郵便
編集脚注
編集- ^ “大阪府大阪市北区の町丁・字一覧”. 人口統計ラボ. 2019年10月4日閲覧。
- ^ a b “住民基本台帳人口・外国人人口”. 大阪市 (2019年7月26日). 2019年10月4日閲覧。
- ^ a b “豊崎の郵便番号”. 日本郵便. 2019年8月15日閲覧。
- ^ “市外局番の一覧”. 総務省. 2019年6月24日閲覧。
- ^ 『大日本篤農家名鑑』188頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2021年4月4日閲覧。
- ^ a b “平成7年国勢調査の調査結果(e-Stat)- 男女別人口及び世帯数 -町丁・字等”. 総務省統計局 (2014年3月28日). 2019年8月16日閲覧。
- ^ a b “平成12年国勢調査の調査結果(e-Stat)- 男女別人口及び世帯数 -町丁・字等”. 総務省統計局 (2014年5月30日). 2019年8月16日閲覧。
- ^ a b “平成17年国勢調査の調査結果(e-Stat)- 男女別人口及び世帯数 -町丁・字等”. 総務省統計局 (2014年6月27日). 2019年8月16日閲覧。
- ^ a b “平成22年国勢調査の調査結果(e-Stat)- 男女別人口及び世帯数 -町丁・字等”. 総務省統計局 (2012年1月20日). 2019年8月16日閲覧。
- ^ a b “平成27年国勢調査の調査結果(e-Stat)- 男女別人口及び世帯数 -町丁・字等”. 総務省統計局 (2017年1月27日). 2019年8月16日閲覧。
- ^ “北区内の通学区域一覧”. 大阪市 (2018年12月6日). 2019年10月4日閲覧。 “(ファイル元のページ)”
- ^ “平成28年経済センサス-活動調査 / 事業所に関する集計 産業横断的集計 都道府県別結果”. 総務省統計局 (2018年6月28日). 2019年10月23日閲覧。
- ^ <ラマダホテル大阪>12月末で閉館 - 毎日新聞 2013年6月24日
- ^ “郵便番号簿 2018年度版” (PDF). 日本郵便. 2019年6月10日閲覧。
参考文献
編集- 大日本篤農家名鑑編纂所編『大日本篤農家名鑑』大日本篤農家名鑑編纂所、1910年。