谷衛広
日本の江戸時代前期~中期の大名。丹波山家藩世嗣谷衛利長男で、山家藩3代藩主。従五位下出羽守
時代 | 江戸時代前期 |
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生誕 | 正保元年(1644年) |
死没 | 元禄2年12月21日(1690年1月31日) |
改名 | 助十郎(通称) |
戒名 | 節岩源忠日新寺 |
官位 | 従五位下・出羽守 |
幕府 | 江戸幕府 |
主君 | 徳川家綱、綱吉 |
藩 | 丹波山家藩主 |
氏族 | 谷氏 |
父母 | 谷衛利、谷衛成娘 |
兄弟 | 衛広、高城貞胤、油小路隆貞室、谷衛将室 |
妻 | 小出吉重娘 |
子 | 衛純、衛憑、市、酒井忠貫正室 |
生涯
編集谷衛利(第2代藩主・谷衛政の長男)の長男。母は谷衛成(衛政の兄)の娘。弟に旗本・高城貞胤がいる。官位は従五位下、出羽守。
承応元年(1652年)、父・衛利が死去したため嫡孫となる。寛文2年(1662年)、祖父・衛政が65歳で死去したため、翌年にその跡を継いだ。元禄2年(1689年)、46歳で死去し、跡を次男の衛憑が継いだ。