谷 哲也(たに てつや、1985年7月9日 - )は、徳島県美馬郡つるぎ町出身の元プロ野球選手内野手)。右投右打。

谷 哲也
中日時代、 2013年3月6日
基本情報
国籍 日本の旗 日本
出身地 徳島県美馬郡つるぎ町
生年月日 (1985-07-09) 1985年7月9日(39歳)
身長
体重
180 cm
78 kg
選手情報
投球・打席 右投右打
ポジション 内野手
プロ入り 2007年 大学生・社会人ドラフト3巡目
初出場 2009年4月11日
最終出場 2018年4月4日
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)
派遣歴

経歴

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プロ入り前

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中学時代では野球部と陸上部を掛け持ちして四国で陸上のチャンピオンになるほど身体能力を魅せていた[1]

鳴門市立鳴門工業高等学校では投手であり、3年春の第75回選抜高等学校野球大会では、初戦(2回戦)で桐蔭学園高等学校相手に完封勝利を収めている。2年春の準優勝時は遊撃手でのスタメンだった。

卒業後は社会人野球日立製作所に進み、遊撃手に転向して活躍した。

2007年の大学・社会人ドラフト中日ドラゴンズに3巡目で指名され入団。

プロ入り後

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2008年(1年目)はルーキーの中で唯一、一軍昇格は果たせなかった。しかし、二軍で打率.305、4本塁打と安定した打棒を見せ、また12犠打を記録するなど技術的にもプロの投手のボールへと柔軟に対応出来る適応力の高さを示した。

2009年春季キャンプは二軍スタートで結局一軍に呼ばれることなく終わったが、3月14日に一軍に合流し、そのまま初の開幕一軍入りを果たす。ちなみに谷にとっては初の一軍登録であり2007年ドラフト入団選手(谷のほか山内壮馬赤坂和幸樋口賢)で一番早く開幕一軍を果たしたことになる。オフに、ドミニカ・ウインターリーグエストレージャス・オリエンタレス浅尾拓也山井大介長峰昌司と共に派遣。開幕スタメンを務めるなど10試合に出場し、打率.267の成績を残す[2]

2010年はシーズンの多くを二軍で過ごしたが、秋には第17回IBAFインターコンチネンタルカップの日本代表に選出された。

2011年は公式戦最後の試合で1番遊撃手として出場してプロ初安打を含む2安打を放った。

2012年は11試合に出場した。2013年は10試合に出場し、出場機会を増やしていった。

2014年に背番号を70に変更(小笠原道大が背番号36を付けた事に伴う)。6月22日の千葉ロッテマリーンズ戦では9番・二塁でスタメン出場し、プロ入り初の適時打(3打数1安打 1四死球 1打点)を放ち同じく初のお立ち台にも上がった。 6月28日の甲子園での阪神タイガース戦では準サイクルヒットを放ち二度目のお立ち台へ立つ活躍を見せた[3]。7月13日広島東洋カープ戦では決勝打を放ち3度目のお立ち台に立った。シーズンオフの契約更改では約1000万円に増額となったものの、背番号は引き続き「70」を着用する。

2015年はわずか1試合の出場に終わり、オフ(11月21日)の契約更改では減額制限(25%)いっぱいとなる750万円で更改した[4]

2016年はシーズン通して一軍に定着し、52試合に出場した。11月11日の契約更改では代打で2割9分2厘の高打率を評価されて、前年から50%アップの1125万円で契約した。[5]

2017年6月24日の読売ジャイアンツ戦(東京ドーム)で森福允彦から一軍初ホームランを記録した[6]。11月27日には背番号変更が発表され、2018年からは58番をつけることになった。

2018年開幕一軍スタートだったが代打での3試合に出場したのみであった。4月5日に出場選手登録を抹消されて以降は一軍再昇格はなく、10月1日に球団から戦力外通告を受けた[7]。これを受け、現役を引退する意向を固めた[8]。10月13日の一軍最終戦ではセレモニー等はなかったが、チームメイトから胴上げを受けた。12月2日、自由契約公示された。

引退後

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2018年12月22日、中日球団よりマネージャーに就任したことが発表された。

選手としての特徴

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内野の全ポジションを堅実に守る器用性が最大の持ち味[9][10]。打撃では鋭いスイングから外野の間を抜く長打力を誇り[9]、また勝負強さも持ち合わせる[10]

詳細情報

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年度別打撃成績

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O
P
S
2009 中日 4 1 1 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 .000 .000 .000 .000
2010 3 5 5 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 1 1 .000 .000 .000 .000
2011 2 6 6 0 2 1 0 0 3 0 0 0 0 0 0 0 0 3 0 .333 .333 .500 .833
2012 11 5 5 0 1 0 0 0 1 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 .200 .200 .200 .400
2013 10 26 21 1 2 2 0 0 4 0 0 0 5 0 0 0 0 9 1 .095 .095 .190 .285
2014 59 131 118 7 28 13 1 0 43 10 0 1 6 1 6 0 0 23 0 .237 .272 .364 .636
2015 1 1 1 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 .000 .000 .000 .000
2016 52 91 82 2 17 2 0 0 19 6 1 0 1 0 8 0 0 16 4 .207 .278 .232 .509
2017 53 100 92 9 20 3 0 2 29 11 0 1 2 1 5 0 0 23 0 .217 .255 .315 .570
2018 3 3 3 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 .000 .000 .000 .000
NPB:10年 198 369 334 19 70 21 1 2 99 27 1 2 14 2 19 0 0 75 6 .210 .251 .296 .547

年度別守備成績

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二塁 遊撃 三塁 一塁
















































2009 - - 1 0 0 0 0 .000 -
2010 3 4 4 0 3 1.000 - - -
2011 - 2 2 3 0 0 1.000 - -
2012 1 1 0 0 0 1.000 2 0 0 0 0 .000 2 0 1 0 0 1.000 -
2013 1 0 2 0 0 1.000 8 10 20 1 6 .968 - -
2014 32 54 63 1 17 .992 - 9 1 2 0 0 1.000 4 3 0 0 2 1.000
2016 14 20 27 1 7 .979 - 14 7 20 0 0 1.000 2 4 3 0 1 1.000
2017 23 34 39 2 13 .973 - 9 6 7 0 0 1.000 6 14 1 0 1 1.000
通算 74 113 135 4 40 .984 12 12 23 1 6 .972 35 14 30 0 0 1.000 6 7 3 0 3 1.000

記録

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背番号

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  • 36 (2008年 - 2013年)
  • 70 (2014年 - 2017年)
  • 58 (2018年)

登場曲

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脚注

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  1. ^ 中日 ドラフト指名選手紹介 2007年 ベースボールラボ
  2. ^ “ドミニカの衝撃 浅尾戦力外”. 中日スポーツ. (2009年11月22日). オリジナルの2009年11月23日時点におけるアーカイブ。. https://web.archive.org/web/20091123134132/http://www.chunichi.co.jp/chuspo/article/dragons/news/200911/CK2009112202000045.html 2018年1月26日閲覧。 
  3. ^ “崖っ縁男”中日・谷 サイクル王手の1試合4安打 – 東京スポーツ新聞社”. 東スポWeb. 2022年2月22日閲覧。
  4. ^ 【中日】若松、555%増で更改「ホントにいいのかな、と疑った」 - 2015年11月21日15時54分(スポーツ報知
  5. ^ 【中日】「戦力外らしい」の谷がビックリ50%増でサイン.スポーツ報知.2016年11月12日閲覧。
  6. ^ 10年目の中日・谷 プロ初本塁打!ベンチはお祭り騒ぎ - スポニチ Sponichi Annex 野球”. スポニチ Sponichi Annex. 2022年2月22日閲覧。
  7. ^ 中日ドラゴンズ 公式サイト - ドラゴンズニュース 来季の契約について”. 中日ドラゴンズ. 2018年10月1日閲覧。
  8. ^ 中日、谷哲也に戦力外通告 現役引退へ「やりきった。ここで野球を終わり」”. スポニチ. 2018年10月13日閲覧。
  9. ^ a b ベースボール・タイムズ Vol.27 (発売日 2016年06月20日)/ 高橋健二
  10. ^ a b 中日谷50%増1125万円「70といえば谷」 - 野球 : 日刊スポーツ”. nikkansports.com. 2023年1月9日閲覧。

関連項目

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外部リンク

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