谷口良一
酒造家、政治家
初代 谷口 良一(たにぐち りょういち、1857年(安政4年1月[1][2])- 1909年(明治42年)5月19日[2][3])は、明治期の酒造家、政治家。貴族院多額納税者議員、和歌山県海草郡山口村長。幼名・常之助[1]。
谷口良一 たにぐち りょういち | |
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生年月日 | 1857年 |
出生地 |
日本 紀伊国名草郡里村 (現・和歌山県和歌山市) |
没年月日 | 1909年5月19日 |
前職 | 酒造業 |
子女 | 養子・2代谷口良一 |
在任期間 | 1904年6月2日 - 1904年9月28日 |
海草郡会議員 | |
山口村会議員 |
経歴
編集紀伊国名草郡里村(和歌山県名草郡山口村大字里[1]、海草郡山口村を経て現和歌山市)で、酒造業・谷口良吉の息子として生まれた[1]。酒造業を相続して製品の改良などに尽力して事業を拡張し、和歌山県酒造組合連合会副会長などを務めた[1]。
1879年(明治12年)7月、里村外十ヶ村会議員に就任[2][3]。1879年(明治22年)ころから自由民権運動に加わり[1]、同年4月、山口村会議員に当選[3]。同年5月、初代山口村長に就任し、1903年(明治36年)6月に再選された[3]。1908年(明治31年)9月、海草郡会議員に当選し[3]、同参事員にも就任[2]。その他、学務委員、所得税調査委員、山口村農会長なども務めた[1][2]。
1904年(明治37年)5月の補欠選挙で貴族院多額納税者議員に互選され[1][4]、同年6月2日[5]から同年9月28日の任期満了まで在任した[2][3]。
親族
編集- 婿養子 2代・谷口良一(酒造業、海草郡会議員)[6]
脚注
編集参考文献
編集- 堀江宏義編『帝国紳士名鑑 和歌山県之部』帝国交信社、1906年。
- 『貴族院要覧(丙)』昭和21年12月増訂、貴族院事務局、1947年。
- 和歌山県史編さん委員会編『和歌山県史 人物』和歌山県、1989年。
- 衆議院・参議院編『議会制度百年史 - 貴族院・参議院議員名鑑』大蔵省印刷局、1990年。