谷口義久
谷口 義久(たにぐち よしひさ、1927年(昭和2年)3月11日[1] - 2015年(平成27年)4月2日)は、政治家。従四位。元京都府亀岡市長。京都府出身。
人物・経歴
編集京都府出身[1]。1944年(昭和19年)大津鉄道青年錬成所本科を卒業[1]後、1946年大井村役場(現・亀岡市役所)入庁。同市企画管理室長、同市助役を務める。
1979年、当時現職の市長である小島幸夫を破り、亀岡市長に当選。以後、5期務める。同市長在任中に全国市長会理事、近畿市長会副会長、京都府市長会会長、京都府中部広域消防組合管理者、京都中部広域市町村圏協議会長、北陸新幹線口丹波建設促進協議会長、財団法人亀岡市住宅供給公社会長を歴任。
嵯峨野線(山陰本線京都 - 園部間)の複線電化、京都縦貫自動車道建設、北陸新幹線の若狭ルート誘致、日吉ダム建設を大型プロジェクトと位置付け、同市の近代化に貢献した。また、交通網の整備や大型住宅開発を進めたことにより、京都市や大阪府の衛星都市として確立させ、就任前は6万人程度だった人口が10万人近くまで急増した。
生涯学習都市づくりを進め、オクラホマ州立大学日本校(現在は廃校)の誘致やガレリアかめおかの建設を進めた。また、運動公園や農業公園の整備、市の木「さくら」の制定と亀岡市都市緑花協会の設立、新市庁舎の建設にも尽力した。さらに、スティルウォーター市、ジャンヂーラ市との姉妹都市盟約締結、蘇州市との友好交流都市盟約締結など国際交流を推進。
栄典
編集脚注
編集- ^ a b c 『現代政治家人名事典』281頁。
- ^ 谷口義久氏死去 88歳、元京都府亀岡市長 京都新聞 2015年4月5日 アーカイブ 2016年3月5日 - ウェイバックマシン
- ^ “亀岡市名誉市民のご紹介”. 亀岡市. 2022年8月17日閲覧。
参考文献
編集- 『現代政治家人名事典』日外アソシエーツ、1999年。
- 京都新聞社『京都年鑑』