覚海 (中国)

江戸時代に明から渡来した僧。福建省泉州府の出身。

覚海(かくかい、? - 寛永14年(1637年)は、江戸時代前期に中国から渡来した僧。福建省泉州府の出身。

覚海
? - 1637年
生地 福建省泉州府
寺院 福済寺
弟子 了然、覚意
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生涯

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来朝前の中国での覚海の活動に関しては、泉州出身である以外、よく分かっていない。

1628年(寛永5年)、了然と覚意の2僧を従えて、長崎に渡来し、岩原郷に新寺を創建して、天后聖母(媽祖)を祀った。この寺が、崇福寺興福寺と並ぶ唐寺の福済寺である。

1637年(寛永14年)、後任の住持を決定することなく、この寺で没した。覚海が伴って来た覚意と了然は、師の没後も住持に就任することなく、看坊のまま没した(覚意が1647年正保4年)、了然が1648年慶安元年))。