西山哲治
日本の教育者
西山 哲治(にしやま てつじ、1883年(明治16年)2月13日[1] - 1939年(昭和14年)12月15日[2])は、日本の教育者。
経歴
編集兵庫県氷上郡竹田村(現在の丹波市)出身[1]。代用教員、准教員を経て、1901年(明治34年)に哲学館(現在の東洋大学)に入学した[3]。1905年(明治38年)に哲学館を卒業した後は、雑誌「教育実験界」の記者となり、また日本家庭辞書の編纂にあたった[3]。1906年(明治39年)から1910年(明治43年)までニューヨーク大学に留学し、教育学博士の称号を得た[1]。
1912年(明治45年)には帝国小学校・帝国幼稚園を創設し経営にあたった[1]。さらに1926年(大正15年)からは東洋大学教授も務めた[1]。また人形病院を開いた[4]。
著作
編集- 『日本家庭辞書』 (弘道館, 1906年)
- 『最近思潮 実際教育之新研究』(敬文館、1910年)
- 『お花は如何にして教育すべき乎』(金港堂、1911年)
- 『新撰教育学教科書』(篠田利英と共著、三省堂、1911年)
- 『児童中心主義 攻究的新教授法』(宝文館、1911年)
- 『新撰教授法教科書』(篠田利英と共著、三省堂、1911年)
- 『新撰学校管理法教科書』(篠田利英と共著、三省堂、1911年)
- 『家庭小説 女学校出の文子』(内外出版協会、1911年)
- 『悪教育之研究』(弘学館書店、1913年)
- 『教育問題 子供の権利』(南光社、1918年)
- 『自学主義各科教授原論』(隆文館、1918年)
- 『小学校改善の実際的研究』(開発社、1919年)
- 『新時代の要求する子供の保護』(集成社、1920年)
- 『最新各科教授法精義』(南光社, 1927年)
- 『私の学校及学級経営法』(明治図書、1927年)
- 『最近欧米に於ける職業指導の実際』(明治図書、1929年)
- 『最近欧米に於ける実験学校の経営と批判 』(明治図書、1930年)
- 『現代教育の新潮と実際』(教育実際社、1931年)
- 『優良児教育法 附・各科学習心理の実際』(教育実際社、1932年)
- 『生活中心新教育の建設過程』(新生閣書店、1933年)
- 『現代新教育汎論』(新生閣書店、1934年)
- 『子供の喧嘩』(モナス、1936年)
脚注
編集- ^ a b c d e 多紀、氷上人名鑑 p.323 1933.
- ^ 20世紀日本人名事典 2004.
- ^ a b 大正新立志伝 pp.203-211 1921.
- ^ 大衆人事録 第3版 1930.
参考文献
編集- 為藤五郎『大正新立志伝』大日本雄弁会、1921年。
- 帝国秘密探偵社編『大衆人事録 第3版』帝国秘密探偵社、1930年。
- 『多紀、氷上人名鑑』篠山新聞社、1933年。
- 『20世紀日本人名事典』日外アソシエーツ、2004年。