実文は従来、西園寺寛季の部屋住であった。次男爵として従五位下に叙せられたこともあったが、寛季の密子であったため、西園寺家ではなく民間で育てられたとされる[1]。
天保12年(1841年)7月20日には、不行跡を理由に西園寺家から義絶され、「庶人」の身分となった。この時、従五位下の位起も返上になったと考えられる[1]。
子供に、幕末期に活躍した西園寺実満がいる[1]。
- ^ a b c d 高埜利彦編『朝廷をとりまく人びと』(吉川弘文館、 2007年)
- 高埜利彦編『朝廷をとりまく人びと』(吉川弘文館、 2007年)