西光寺 (常陸太田市谷河原町)

西光寺(さいこうじ)は、茨城県常陸太田市にある真宗大谷派寺院。なお、当寺の約7キロメートル北西の同市下利員町に同名の寺がある。そちらの寺は真言宗であり、重要文化財の「木造薬師如来坐像」を所蔵しているが、現在は無住(住職不在)となっている。

西光寺
所在地 茨城県常陸太田市谷河原町735
位置 北緯36度31分14.1秒 東経140度31分29.8秒 / 北緯36.520583度 東経140.524944度 / 36.520583; 140.524944座標: 北緯36度31分14.1秒 東経140度31分29.8秒 / 北緯36.520583度 東経140.524944度 / 36.520583; 140.524944
山号 鳥喰山
院号 無量光院
宗派 真宗大谷派
本尊 阿弥陀如来
創建年 鎌倉時代初期
開基 唯円(鳥喰の唯円)
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歴史

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鎌倉時代初期、唯円(鳥喰の唯円)の開基である。唯円は俗名「橋本綱宗」といい、武蔵国の楢山城の城主[1]であったが、自分の息子が亡くなったことをきっかけに、家督を弟に譲り、諸国行脚の旅に出た。常陸国那珂郡鳥喰村(現・茨城県那珂市豊喰)の空き家に泊まったとき、自分が所持していた薬師如来が夢の中に出てきて、「稲田の聖人のもとを訪れよ。」と告げられた。その稲田草庵(現・西念寺)において浄土真宗宗祖の親鸞に出会い、親鸞の法話に感激して弟子入りを懇願し、「唯円」を名乗ることになった。そして、浄土真宗に帰依するきっかけとなった鳥喰の地に寺を創建した[2][3]

当初の名称は「円寿院本泉寺」であったが、1626年寛永3年)に水戸藩初代藩主徳川頼房によって現在地に移転、その際に「鳥喰山無量光院西光寺」に改称した[3]

交通アクセス

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脚注

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  1. ^ 歎異抄』の作者とされる同名の法名を持つ人物とは別人。両者を区別するために、当寺の開基は通称「鳥喰の唯円」、『歎異抄』の作者とされる僧侶は通称「河和田の唯円」と呼ばれている。なお、茨城県常陸大宮市本泉寺では、鳥喰の唯円の俗名は「鳥喰六郎兵衛尉朝業」としている。
  2. ^ プレスサービス 編『茨城の寺を訪ねて』茨城放送、1987年、273p
  3. ^ a b 西光寺真宗教団連合「親鸞聖人を訪ねて」

参考文献

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  • プレスサービス 編『茨城の寺を訪ねて』茨城放送、1987年