蜂屋定頼
蜂屋 定頼(はちや さだより)は、安土桃山時代から江戸時代初期の武将。徳川家康の家臣。
時代 | 戦国時代 - 江戸時代初期 |
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生誕 | 永禄2年(1559年) |
死没 | 寛永6年(1629年) |
別名 | 七兵衛 |
戒名 | 宗栄 |
幕府 | 江戸幕府 |
主君 | 徳川家康、秀忠 |
氏族 | 蜂屋氏 |
父母 | 蜂屋定近 |
兄弟 | 定頼、定則、正次、政春 |
妻 | 四宮内蔵助の娘 |
子 |
定共、定氏、堀利政室、布施重直室、長田吉広室、 定吉、定吉室 |
略歴
編集父の代から徳川家康に仕える。天正12年(1584年)小牧・長久手の戦いに従軍し、長久手合戦では永井直勝・安藤直次らとともに池田恒興の首級を戦い、自身は恒興の家臣を討ち取った。天正19年(1591年)相模鎌倉郡内に400石。慶長5年(1600年)関ヶ原の戦いに従軍。戦後、与力10騎と同心20人を預けられ、相模高座郡・愛甲郡内に300石と300俵の加増を受ける。その後は徳川秀忠の配下となった。
寛永6年(1629年)ころに死去したが、その時には長男定共は死去しており、次男定氏は刃傷事件を起こして逐電していた。そのため次女の子にあたる定吉(布施氏)に長女の娘(堀氏)を娶らせて家督を継承させた。
参考文献
編集- 「寛政重修諸家譜」巻第295