虎山永隆
永隆(えいりゅう)または虎山永隆(こざんえいりゅう)は、室町時代の僧。足利将軍家の一族であり、第3代将軍・足利義満の子。第4代将軍・足利義持と第6代将軍・足利義教の弟に当たる。相国寺永隆(しょうこくじえいりゅう)、聯輝軒永隆(れんきけんえいりゅう)としても知られる。
時代 | 室町時代前期 - 中期 |
---|---|
生誕 | 応永10年(1403年) |
死没 | 嘉吉2年2月18日(1442年3月30日) |
別名 | 虎山永隆 |
氏族 | 足利氏(足利将軍家) |
父母 | 父:足利義満、母:池尻殿 |
兄弟 | 義持、義教、法尊、永隆、義昭ほか |
生涯
編集相国寺に入って空谷明応の法を継いだ。応永35年(1428年)、義持が死去すると、他の兄弟ら義円(のちの足利義教)や梶井義承、大覚寺義昭と共に義持後継者の1人として推挙された。嘉吉元年(1441年)に鹿苑院の院主となり、翌年死去した。享年40。
参考文献
編集- 虎山永隆(kotobank)