藤田六郎兵衛
八世
編集十世
編集小鼓方幸清流田鍋惣太郎の次男。八世藤田六郎兵衛の五男である九世藤田清兵衛の養子。
十一世
編集名古屋市生まれ。祖父の十世藤田六郎兵衛のもと、1960年(昭和35年)に一管「中之舞」で初舞台。同朋高等学校声楽科、名古屋音楽短大 (現名古屋音楽大学) 音楽科声楽専攻を卒業後、1980年(昭和55年)藤田流十一世家元を継承、1982年(昭和57年)藤田六郎兵衛を襲名。名古屋を拠点に国内外で広く活動し、新作能・復曲能にも多く参加した[2]。重要無形文化財総合指定保持者。文化庁芸術祭大賞[3]、観世寿夫記念法政大学能楽賞[4]、名古屋芸術祭賞他。名古屋音楽大学客員教授[5]。
2018年(平成30年)8月28日、肝臓がんのため死去[6]。64歳没。
脚注
編集- ^ 明治~平成, 新撰 芸能人物事典. “藤田 六郎兵衛(10代目)(フジタ ロクロビョウエ)とは?”. コトバンク. 2024年6月29日閲覧。
- ^ 産経新聞:産経ニュース (2018年8月29日). “【訃報】能楽笛方藤田流十一世家元・藤田六郎兵衛さん”. 2024年6月29日閲覧。
- ^ “文化庁芸術祭賞受賞一覧 | 文化庁”. www.bunka.go.jp. 2024年9月22日閲覧。
- ^ “観世寿夫記念法政大学能楽賞・催花賞”. 野上記念法政大学能楽研究所. 2024年6月29日閲覧。
- ^ “<訃報>藤田六郎兵衛客員教授のご逝去について|トピックス|同朋学園 名古屋音楽大学”. 2024年6月29日閲覧。
- ^ “訃報:藤田六郎兵衛さん64歳=能楽笛方藤田流十一世宗家”. 毎日新聞. 2024年6月29日閲覧。