藤生善久
(藤生紀伊守から転送)
藤生 善久(ふじお/ふじう よしひさ)は、戦国時代から安土桃山時代にかけての武将。由良氏(横瀬氏)の家臣。後に上野国柄杓山城(桐生城)代・道原城代・老寄衆。群馬県桐生市付近に伝わる民話では「藤生紀伊守」として登場するので同地区ではそちらの呼び名の方が有名。
時代 | 戦国時代 - 安土桃山時代 |
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生誕 | 天文16年(1547年)[1] |
死没 | 天正18年8月7日(1590年9月5日) |
戒名 | 高巌全玖 |
官位 | 紀伊守 |
主君 | 由良国繁 |
氏族 | 藤生氏 |
略歴
編集知勇と文武に優れた武将といわれ、由良国繁にも文武の道を説いている。渡瀬繁詮の家老も歴任した。
天正元年(1573年)3月12日、桐生氏を相手にした戦いにて由良氏側の指揮を執り勝利する[2]。天正10年(1582年)11月、「藤生紀伊守言上之事」として十二ヶ条の教えを記す。天正11年(1583年)、広沢大雄院を建立した。
天正18年(1590年)8月7日、死去。