藤津準一
大日本帝国陸軍軍人
藤津 準一(ふじつ じゅんいち、1869年4月7日(明治2年2月26日) - 1919年(大正8年)1月17日[1])は、大日本帝国陸軍軍人。最終階級は陸軍少将。位階勲等功級は従四位勲三等功四級[2]。
生誕 |
1869年4月7日 周防山口藩 |
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死没 | 1919年1月17日(49歳没) |
所属組織 | 大日本帝国陸軍 |
軍歴 | 1891年 - 1919年 |
最終階級 | 陸軍少将 |
経歴・人物
編集山口県士族・藤津正憲の長男として生まれ、1870年(明治3年)5月に家督を相続する[3][4]。
1891年(明治24年)陸軍士官学校第2期卒業[1][5]。翌年、陸軍歩兵少尉に任官する[3][4][6]。1897年(明治30年)陸軍大学校に入校し、1900年(明治33年)同校を第14期で卒業する[1][3][4][5]。
近衛野砲兵連隊大隊長、下関要塞参謀を経て、1911年(明治44年)11月に陸軍砲兵大佐・野砲兵第4連隊長に任官[1][3][4][5]。この間、日露戦争に出征し、その功により功四級金鵄勲章を叙勲する[3][4]。
以降、1912年(明治45年)7月に野砲兵第13連隊長、1913年(大正2年)8月に第6師団参謀長、1916年(大正5年)8月に陸軍少将・重砲兵第1旅団長を経て、1918年(大正7年)7月に陸軍重砲兵射撃学校長となり、翌年、在任中に没した[1][5]。
栄典
編集- 位階
脚注
編集参考文献
編集- 福川秀樹『日本陸軍将官辞典』芙蓉書房出版、2001年。ISBN 4829502738。
- 外山操『陸海軍将官人事総覧 陸軍篇』芙蓉書房出版、1981年。ISBN 4829500026。
- 人事興信所『人事興信録 第4版』人事興信所、1915年 。
- 人事興信所『人事興信録 第5版』人事興信所、1918年 。