藤波朝忠
藤波 朝忠(ふじなみ ともただ[1])は、室町時代の公卿。神祇大副。伊勢神宮祭主。
時代 | 室町時代後期 |
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生誕 | 明応7年(1498年) |
死没 | 元亀元年11月26日(1570年12月23日) |
官位 | 従二位非参議 |
主君 | 後柏原天皇→後奈良天皇→正親町天皇 |
氏族 | 藤波家 |
父母 | 藤波伊忠 |
兄弟 | 国忠、朝忠 |
子 | 康忠 |
生涯
編集神宮祭主藤波伊忠の子として、明応7年(1498年)に生まれる。
大永2年9月2日(1522年9月21日)、父の伊忠から神宮祭主職を譲任された[注 1]。天文5年(1536年)、従三位に昇叙し、公卿に列した天文6年(1537年)、神祇大副となる[注 2]。元亀2年(1570年)11月、逝去した。73歳。
官歴
編集系譜
編集脚注
編集注釈
編集出典
編集- ^ 小林秀. “第67話 神宮神官たちの自己推薦状「款状」を読む”. 歴史の情報蔵. 三重県. 2020年12月12日閲覧。
- ^ 神宮司庁 編『神宮要綱』神宮皇学館館友会、1929年。
- ^ a b 『歴名土代』