藤波 慶忠(ふじなみ よしただ)は、安土桃山時代日本公家神宮祭主

 
藤波 慶忠
時代 安土桃山時代
生誕 永禄元年(1558年
死没 慶長3年3月29日1598年5月4日
官位 従四位下神祇権大副
主君 正親町天皇後陽成天皇
氏族 藤波家
父母 父:藤波康忠
甘露寺経元
種忠
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生涯

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藤波康忠の子として、永禄元年に生まれる。永禄4年(1561年)、4歳で叙爵される。

父の卒去に伴って、元亀3年(1572年)、15歳で神宮祭主となる。天正年間には京都に還住する[1]天正16年2月22日1588年3月19日)、昇殿を許された。

慶長3年(1598年)、公卿に列せられることなく、41歳で卒去した[注 1]

官歴

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『歴名土代』による。

系譜

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脚注

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注釈

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  1. ^ 『二所太神宮例文』第八「祭主次第」の慶忠の項に「逝去慶長三年戊戌三月廿九日」とあるが、『系図纂要』第十三冊では異なり、慶忠の尻付に「慶長四年卒〈四十二〉」とある(p.392)。

出典

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  1. ^ 平井誠二 2000, p. 185.

参考文献

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  • 宝月圭吾・岩沢愿彦監修『系図纂要』第十三冊、名著出版、1974年。
  • 湯川敏治編『歴名土代』八木書店、1996年。
  • 平井誠二 著「近世における祭主職の継承」、國學院大學日本文化研究所 編『大中臣祭主藤波家の研究』続群書類従完成会、2000年。