藤村謙
日本の陸軍軍人
藤村 謙[注釈 1](ふじむら ゆずる、1892年(明治25年)11月16日[1] - 1977年(昭和52年)3月29日[1])は、大日本帝国陸軍軍人。最終階級は陸軍中将。
藤村 謙 | |
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生誕 |
1892年11月16日 日本 東京府 |
死没 | 1977年3月29日(84歳没) |
所属組織 | 大日本帝国陸軍 |
軍歴 | 1914年 - 1945年 |
最終階級 | 陸軍中将 |
経歴
編集1892年(明治25年)に東京府で生まれた[1]。陸軍士官学校第26期、陸軍大学校第38期卒業[1]。1937年(昭和12年)に野砲兵第6連隊に就任し[2]、日中戦争に出撃。保定会戦、杭州湾上陸作戦、南京攻略、広州掃討戦、武漢攻略に参加し、華北・華中で連戦した[1]。1938年(昭和13年)に陸軍砲兵大佐に進級し[2]、1939年(昭和14年)に留守第4師団参謀長を経て[2]、1940年(昭和15年)に満州国軍政部顧問に就任した[2]。
1941年(昭和16年)に陸軍少将に進級し[2]、1943年(昭和18年)に第8砲兵団長[1]、1944年(昭和19年)に第1方面軍兵器部長を歴任[1]。1945年(昭和20年)4月に陸軍中将に進級し[2]、同年6月に宇都宮で編成された第351師団長に親補された[1]。その後師団は福岡に移駐し、錬兵中であったが終戦を迎えた[1]。
栄典
編集- 外国勲章佩用允許
脚注
編集注釈
編集出典
編集参考文献
編集- 福川秀樹 編著『日本陸軍将官辞典』芙蓉書房出版、2001年。ISBN 4829502738。
- 外山操 編『陸海軍将官人事総覧 陸軍篇』芙蓉書房出版、1981年。ISBN 4829500026。