藤堂高衡
藤堂 高衡(とうどう たかひら)は、伊勢久居藩の第10代藩主。久居藩藤堂家10代。久居陣屋の主。
時代 | 江戸時代中期 |
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生誕 | 宝暦14年2月27日(1764年3月29日) |
死没 | 天明元年10月9日(1781年11月24日) |
改名 | 山七郎(幼名)、高衡 |
戒名 | 徳聚院殿照月行源大居士 |
墓所 |
東京都港区南青山の青山墓地 三重県津市寿町の寒松院 |
官位 | 従五位下、佐渡守 |
幕府 | 江戸幕府 |
藩 | 伊勢国久居藩主 |
氏族 | 藤堂氏 |
父母 | 父:藤堂高周、養父:藤堂高興 |
妻 | 正室:なし |
子 | 実子:なし、養子:高矗 |
生涯
編集伊勢津藩家臣・藤堂高周の長男。宝暦14年(1764年)2月27日、津で生まれる。高周(東雲院)は一族の藤堂出雲家(藩祖藤堂高虎の弟・藤堂高清の子孫)の第7代当主であった。安永6年(1777年)に第9代藩主・高興が死去したため、その養子として家督を継いだ。安永7年(1778年)に桜田防火使を務め、天明元年(1781年)9月5日に従五位下・佐渡守に叙位・任官する。
直後に勅使接待役を幕府より命じられたが、病に倒れて10月9日に江戸で死去した。享年18。跡を実父・高周の養子となっていた高矗が継いだ。
系譜
編集父母
養子