藤堂高英
藤堂 高英(とうどう たかひで)は、江戸時代の武士。藤堂家一門重臣。藤堂出雲家第2代。藤堂高虎の甥。通称は出雲。
時代 | 江戸時代 |
---|---|
生誕 | 寛永6年1月27日(1629年2月20日) |
死没 | 元禄17年2月17日(1704年3月22日) |
改名 | 小太夫(初名)→高英 |
別名 | 出雲(通称) |
戒名 | 寂雲院殿将山元英居士 |
墓所 | 三重県津市四天王寺 |
主君 | 藤堂高次→高久 |
藩 | 伊勢国津藩 |
氏族 | 藤堂氏 |
父母 | 父:藤堂高清、母:勝沼正姿の娘 |
兄弟 | 高秀、高英、高巌、高壽 |
妻 | 正室:(藤堂玄綱の娘) |
子 | 高明、高利、高溥、高尚、高貞 |
家系
編集藤堂出雲家は、藤堂高虎の異母弟高清に始まる。宗家の津藩主5代藤堂高敏で高虎の血統が絶え、高英の孫高治が養子として6代藩主となって以降は藩主が出雲家の血を引くこととなる。 文武に秀でた人物を多く輩出している。藤堂高英陸軍中将は子孫。
略歴
編集寛永6年(1629年)1月27日、上野城代藤堂高清の次男として、伊賀国上野城で生まれた。母は側室勝沼氏。
寛永17年(1640年)2月に江戸で幕府証人を務める兄高秀が死去。8月には父高清も死去し、10月に家督と知行7000石を相続。まだ12歳と幼いため津に移住し、上野城代には藤堂元則が就任した。
慶安元年(1648年)8月25日侍組を預けられ津城付士大将となる。承応元年(1652年)3月、幕府の証人として長男小太夫(高明)を江戸に送る。
元禄17年(1704年)2月17日死去。享年76。葬地は三重県津市四天王寺。家督は長男高明が相続した。
参考文献
編集- 東京大学史料編纂所「公室年譜略 巻第3 藤堂家系巻之2」