藤堂高崧
藤堂 高崧(とうどう たかとし/たかすけ)は、江戸時代中期から後期にかけての伊勢国津藩の世嗣。通称は大学。官位は従四位下・大学頭、主殿頭。
時代 | 江戸時代中期 - 後期 |
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生誕 | 明和2年(1765年) |
死没 | 文政11年(1828年) |
改名 | 五瀬千世(幼名)、高崧 |
別名 | 通称:大学 |
官位 | 従四位下・大学頭、主殿頭 |
藩 | 伊勢久居藩→伊勢津藩世嗣 |
氏族 | 藤堂氏 |
父母 | 藤堂高嶷 |
兄弟 |
高崧、高兌、高邁、高允、木下利徳、 高愨、高驤、高秭、融相院、 清水谷実揖室、松平康乂正室、 藤堂高茂室、湧、一柳末周正室、 大沢基栄室 |
妻 | 溝口直養七女・敏姫 |
子 | 高巽、女子 |
略歴
編集津藩支藩の久居藩主で後に津藩9代藩主となる藤堂高嶷の長男として誕生した。幼名は五瀬千世。正室は溝口直養の七女・敏姫。一男一女あり。
天明7年(1787年)3月23日、父の宗家相続に伴い津藩の嫡子となった。寛政元年(1789年)2月28日、11代将軍・徳川家斉に拝謁した。同年12月16日、従四位下・大学頭に叙任した。しかし、家督相続前の寛政12年(1800年)11月5日、病気のために嫡子の地位を辞退した。代わって子の高巽が世嗣となった。