藤原 顕憲(ふじわら の あきのり)は、平安時代後期の貴族。勧修寺流藤原氏の流れを汲む治部卿藤原盛実の子。官位は正四位下、少納言左小弁、皇后宮亮

 
藤原 顕憲
時代 平安時代後期
生誕 永長2年(1097年)
死没 仁平元年(1151年)11月26日
官位 正四位下、少納言、左小弁、皇后宮亮
主君 崇徳天皇近衛天皇
氏族 藤原北家勧修寺流
父母 父:藤原盛実 母:源頼綱[1]
兄弟 盛輔、説雅、藤原宗成室、顕盛、藤原忠実室、藤原伊通室、藤原頼長乳母、尋実、千覚、藤原家隆室、大中臣師親室
令子内親王の女房
盛憲経憲能円
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経歴

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左大臣藤原頼長家司として仕える。

保安元年(1120年)1月28日に甲斐権守に任じられる。

仁平元年(1151年)11月26日に54歳で急死する。亡くなる前日も勤めていたことが『本朝世紀』の記述から分かる。

脚注

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  1. ^ 尊卑分脈には三河守源頼国娘と書かれている

参考文献

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