藤原 顕憲(ふじわら の あきのり)は、平安時代後期の貴族。勧修寺流藤原氏の流れを汲む治部卿・藤原盛実の子。官位は正四位下、少納言、左小弁、皇后宮亮。
左大臣藤原頼長に家司として仕える。
保安元年(1120年)1月28日に甲斐権守に任じられる。
仁平元年(1151年)11月26日に54歳で急死する。亡くなる前日も勤めていたことが『本朝世紀』の記述から分かる。