藤原義理
藤原 義理(ふじわら の よしまさ、生年不詳 - 長保4年5月6日(1002年6月19日))は、平安時代中期の貴族。藤原北家魚名流、山城守・藤原国隣の子。藤原南家、伊勢守・藤原忠邦の養子。官位は従五位上・出羽守。
経歴
編集一条朝前期の正暦4年(993年)相撲節の召合で三府の佐が出居すべきところ、左兵衛佐の官人が悉く疱瘡を患っていたため、左馬助の義理が代理を務めた。のち、義理自身が左兵衛佐に遷った。
長保元年(999年)ごろ出羽守に任ぜられ、同年左大臣・藤原道長に対して馬二匹、漆一斗を献上している。長保3年(1001年)3月に出羽城介信正(姓不明)を殺害した[1]。その影響によるものか明らかでないが、同年閏12月以前に出羽守を辞している。なお、この頃は藤原道長が執政であった時期で、義理は道長の家司受領であった可能性がある。