藤原繁
藤原 繁(ふじわら しげる、1907年(明治40年)10月8日 - 1978年(昭和53年)11月2日)は、東京市小石川生まれの教育者。父・藤原保次郎(岡山県議会議長)、母・ゆきの長男として出生。亜細亜大学の前身である興亜専門学校、また、その前身である国士舘専門学校興亜科創立を首唱。実質的創立者。
菊池武夫、岩田愛之助、太田耕造(のちの亜細亜大学初代学長)松尾忠二郎、副島義一(衆議院議員)らとともに大学発展に尽力した。
辞世の句は、「教え子に情けを夢の50年」
略歴
編集- 栃木県宇都宮市西校尋常小学校、宇都宮中学(現宇都宮高校)卒
- 4月1日 国士舘専門学校生徒課(生徒監)勤務
- 1937年(昭和12年)12月 愛国学生連盟学生を引率し、中支視察
- 1939年(昭和14年)4月1日 国士舘専門学校に独立経営の「興亜科」を発起創立、主事となる
- 1940年(昭和15年)8月5日 妻・靖子と結婚
- 1941年(昭和16年)4月8日 財団法人興亜協会、興亜専門学校の創立に参画し、学監・教授に就任
- 1948年(昭和23年)4月1日 日本経済専門学校(興亜専門学校を改称)渉外部担当
- 1952年(昭和27年)1月10日 学校法人猶興学園(日本経済専門学校を改組)日本経済短期大学総務となる
- 5月17日 学校法人亜細亜学園常務理事