藤原直道
日本の平安時代の貴族
藤原 直道(ふじわら の なおみち)は、平安時代初期から前期にかけての貴族。藤原北家魚名流、紀伊守・藤原総継の子。光孝天皇の外叔父。官位は従五位上・備前守。
時代 | 平安時代前期 |
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生誕 | 不詳 |
死没 | 不詳 |
官位 | 従五位上、備前守 |
主君 | 淳和天皇→仁明天皇→文徳天皇→清和天皇 |
氏族 | 藤原北家魚名流 |
父母 | 父:藤原総継、母:藤原雄友の娘 |
兄弟 | 直道、貞道、宗道、秀道、沢子、乙春、源融室 |
妻 | 藤原継雄の娘 |
子 | 有穂、高階、連高、常依、滋実、連煎、連松、連永、連茂 |
経歴
編集承和10年(843年)文室宮田麻呂に謀反の疑いがかかり左衛門府に拘禁された際、左兵衛大尉であった直道は左中弁・良岑木蓮らとともに宮田麻呂の平安京と難波の邸宅に派遣され、謀反に使う武具の捜索を行った[1]。
嘉祥2年(849年)従五位下に叙爵し、相模介に任ぜられる。斉衡2年(855年)木工頭に任ぜられるが、翌斉衡3年(856年)には美濃守に転じるなど、文徳朝では主に地方官を歴任した。
天安3年(859年)鋳銭長官に遷ると、貞観3年(861年)少納言兼侍従に任ぜられるなど、清和朝初頭は京官を務め、貞観4年(862年)には従五位上に叙せられる。貞観5年(863年)備前守として再び地方官に転じた。
官歴
編集『六国史』による。
系譜
編集『尊卑分脈』による。
脚注
編集- ^ 『続日本後紀』承和10年12月22日条