藤原滋望

平安時代中期の貴族

藤原 滋望(ふじわら の しげもち)は、平安時代中期の貴族。名は滋茂とも記される。藤原式家参議藤原忠文の子。官位従五位上備後守

 
藤原滋望
時代 平安時代中期
生誕 不詳
死没 不詳
別名 滋茂
官位 従五位上備後守
主君 朱雀天皇村上天皇
氏族 藤原式家
父母 父:藤原忠文
正衡、相親?
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経歴

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式部少丞を経て、天慶年間末から天暦年間初頭(940年代後半)に従五位下右衛門権佐に叙任される。

天暦2年(948年鴨川の堤防の修築を担当する防鴨河使に任ぜられた後、天徳4年(960年)に任ぜられた木工守を挟んで、陸奥守常陸介備後守と地方官を歴任した。

官歴

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系譜

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尊卑分脈』による。

  • 父:藤原忠文
  • 母:不詳
  • 生母不詳の子女
    • 男子:藤原正衡
    • 男子:藤原相親?[6]

脚注

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  1. ^ 『本朝世紀』
  2. ^ a b 『日本紀略』
  3. ^ 『除目大成抄』第6
  4. ^ 『類聚符宣抄』215頁
  5. ^ 『扶桑略記』
  6. ^ あるいは滋望の弟。

出典

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関連項目

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