藤原宗重
平安時代後期の公家。藤原北家中御門流。藤原宗忠の四男。従五位上・刑部少輔または治部大輔。
藤原 宗重(ふじわら の むねしげ)は、平安時代後期の公家。藤原北家中御門流、右大臣・藤原宗忠の四男。官位は従五位上・刑部少輔または治部大輔。
時代 | 平安時代後期 |
---|---|
生誕 | 寛治5年8月19日(1091年10月4日) |
死没 | 天承元年10月11日(1131年11月2日) |
官位 | 従五位上・刑部少輔または治部大輔 |
主君 | 堀河天皇→鳥羽天皇→崇徳天皇 |
氏族 | 藤原北家中御門流(松木家) |
父母 | 父:藤原宗忠 |
兄弟 | 宗能、宗成、覚晴、宗重、藤原宗輔室、徳大寺実能室、源憲俊室、源顕国室 |
妻 | 源基俊娘 |
子 | 行禅、宗覚、女子二人 |
経歴
編集長治3年(1106年)正月10日、父・宗忠の加冠により元服し従五位下に叙爵(『中右記』)。天永2年(1111年)7月に源基俊の娘と婚姻する。
その後、刑部少輔に任ぜられるが、天承元年(1131年)10月11日、害に遭い殺害された(『百錬抄』、『時信記』)。享年41。極位は従五位上。