藤原 守仁(ふじわら の もりひと、生没年不詳)は、平安時代中期の貴族。藤原北家山蔭流、参議・藤原安親の次男[1]。官位は従四位下・伊予守。
村上朝にて六位蔵人に補せられる。また、藤原実頼の家司も務めていた[2]。
娘が関白・藤原道隆の室でさらに所生の道頼が藤原兼家の養子となっている。これもあってか、一条朝前期の藤原兼家・道隆執政期に伊勢守・山城守と近国の受領を歴任。この間の正暦元年(990年)従五位上に叙せられた。
藤原道長執政期でも伊予守と受領を務め、位階は従四位下に至っている。
『尊卑分脈』による。