薄雲 (東雲型駆逐艦)
東雲型駆逐艦
薄雲(うすぐも)は、大日本帝国海軍の駆逐艦で、東雲型駆逐艦の6番艦である。同名艦に吹雪型駆逐艦(特I型)の「薄雲」があるため、こちらは「薄雲 (初代)」や「薄雲I」などと表記される。
艦歴
編集発注時の艦名は第十号水雷艇駆逐艇[5]。1900年2月1日、イギリス・ソーニクロフト社で竣工し、水雷艇(駆逐艇)に類別[2]。同年5月14日、鹿児島に到着[2]。1900年6月22日、軍艦に編入され、駆逐艦に類別[2]。
1904年、日露戦争が勃発した際には第1艦隊第3駆逐隊に所属していた[6]。旅順口攻撃、黄海海戦、日本海海戦などに参加した[2][6]。
1905年12月12日駆逐艦に種別変更[2]。
1912年8月28日三等駆逐艦[2]。
1922年4月1日、特務艇(二等掃海艇)に編入。1923年6月30日、二等掃海特務艇に類別変更。同年8月1日、雑役船(運貨船)に編入、同時に公称第2525号に改称。1925年2月25日、廃船。同年4月29日、伊豆大島沖で実艦標的として撃沈処分[2]。
艦長
編集※『日本海軍史』第9巻・第10巻の「将官履歴」及び『官報』に基づく。
- 回航委員長
- 松岡修蔵 少佐:1899年2月14日 -
- 艦長
- 永田泰次郎 大尉:1900年6月22日 - 9月25日
- 森義臣 少佐:1900年9月25日 - 1901年4月10日
- 金子満喜 少佐:1901年4月17日 - 1903年5月25日
- 大山鷹之介 少佐:1903年5月25日 - 1904年9月11日
- 駆逐艦長
- 森駿蔵 少佐:1905年12月12日 - 1906年5月10日
- (兼)笠間直 中佐:1906年5月10日 - 10月3日
- (兼)柴内豪吉 大尉:1906年10月3日 - 1907年1月12日
- 山口毅一 大尉:1907年1月12日 - 1908年4月20日
- (兼)伊東真三郎 大尉:1908年4月20日 - 5月16日
- (兼)野田為良 大尉:1908年5月16日 - 9月25日
- 阿部三平 大尉:1908年9月25日 - 12月10日
- (兼)松下芳蔵 大尉:1908年12月10日 - 1909年2月1日
- 小川正冬 大尉:1909年2月1日 - 1910年9月26日
- 松平胖 大尉:1910年9月26日 - 1912年3月1日
- 高柳稲雄 大尉:1912年3月1日 - 12月1日
- 志村実 大尉:1912年12月1日 - 1913年7月10日
- 荷村信夫 少佐:1913年7月10日 - 10月14日
- 堀江豊雄 少佐:1913年10月14日 - 不詳
- 森田弥五郎 大尉:不詳 - 1915年12月13日
- 田尻敏郎 大尉:1915年12月13日 - 1916年12月1日
- 三木太市 大尉:1916年12月1日 - 1917年12月1日
- 村島徤三 大尉:1917年12月1日[7] - 1919年12月1日[8]
- 奥野晃 大尉:1919年12月1日[8] - 1920年8月23日[9]
- 山中順一 少佐:1920年8月23日[9] - 1921年11月10日[10]
- (兼)平岡貞 大尉:1921年11月10日[10] - 1922年2月1日[11]
- (兼)大島信哉 大尉:1922年2月1日[11] -
脚注
編集- ^ #海軍制度沿革8(1971)p.9、明治二十九年
- ^ a b c d e f g h i j k l m n o p 『日本海軍史』第7巻、287頁。
- ^ 『日本海軍史』第7巻、182頁。
- ^ 『写真日本海軍全艦艇史』資料編「主要艦艇要目表」51頁。
- ^ 『官報』第4550号、明治31年8月29日。
- ^ a b 『聯合艦隊軍艦銘銘伝』普及版、260-261頁。
- ^ 『官報』第1601号、大正6年12月3日。
- ^ a b 『官報』第2199号、大正8年12月2日。
- ^ a b 『官報』第2419号、大正9年8月24日。
- ^ a b 『官報』第2784号、大正10年11月11日。
- ^ a b 『官報』第2849号、大正11年2月2日。
参考文献
編集- 海軍省/編『海軍制度沿革 巻八』 明治百年史叢書 第180巻、原書房、1971年10月(原著1941年)。
- 海軍歴史保存会『日本海軍史』第7巻、第9巻、第10巻、第一法規出版、1995年。
- 片桐大自『聯合艦隊軍艦銘銘伝』普及版、光人社、2003年。
- 『写真日本海軍全艦艇史 Fukui Shizuo Collection』資料編、KKベストセラーズ、1994年。