蕭昭秀
蕭 昭秀(しょう しょうしゅう、永明元年(483年)- 永泰元年1月25日[1](498年3月3日))は、南朝斉の皇族。巴陵王。文恵太子蕭長懋の三男。字は懐尚。
経歴
編集蕭長懋と陳氏のあいだの子として生まれた。永明年間、曲江公に封じられた。永明10年(492年)、寧朔将軍・済陽郡太守となった。永明11年(493年)、兄の蕭昭業が即位すると、臨海郡王に封じられた。隆昌元年(494年)1月、使持節・都督荊雍益寧梁南北秦七州諸軍事・西中郎将・荊州刺史に任じられた。同年(延興元年)8月、建康に召還されて車騎将軍の号を受け、京師の防衛にあたった。
永泰元年正月丁未(498年3月3日)、殺害された。享年は16。
脚注
編集- ^ 『南斉書』巻6, 明帝紀 永泰元年正月丁未条による。