蓬莱屋 (とんかつ店)
蓬莱屋(ほうらいや)は、日本の食堂。東京都台東区上野に所在する。ヒレカツ専門店であり、日本で最初にヒレカツを商品化した店との説もある[4][5]。串カツの元祖とする説もある[6][7][* 1]。大正時代初期に創業された老舗であり[9][10]、映画監督の小津安二郎が愛した店としても知られており[5][11]、小津の遺作である映画『秋刀魚の味』の一場面の舞台ともなっている[11][12]。
蓬莱屋 | |
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地図 | |
店舗概要 | |
所在地 |
〒110-0005 東京都台東区上野3-28-5 |
座標 | 北緯35度42分26.7192秒 東経139度46分25.4382秒 / 北緯35.707422000度 東経139.773732833度座標: 北緯35度42分26.7192秒 東経139度46分25.4382秒 / 北緯35.707422000度 東経139.773732833度 |
開業日 | 1910年代 |
施設管理者 | 有限会社蓬莱屋 |
店舗数 | 1 |
営業時間 |
11:30 - 14:00 17:00 - 20:30(土・日・祝のみ) |
最寄駅 |
JR東日本 御徒町駅[1] 東京メトロ銀座線・都営地下鉄大江戸線 上野広小路駅[2] 東京メトロ日比谷線 仲御徒町駅[3] |
外部リンク | Hirekatsu Ueno Horaiya |
種類 | 特例有限会社 |
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本社所在地 |
日本 〒110-0005 東京都台東区上野3丁目28番5号 |
業種 | 小売業 |
法人番号 | 4010502010153 |
事業内容 | 飲食店の運営 |
外部リンク | http://www.ueno-horaiya.com/ |
沿革
編集初代店主の山岡正輝は、伊予国(後の愛媛県)越智郡の酒造家の生まれである[13]。家業が傾いたために家を出て、日本各地を渡り歩いた末に、「東京なら安い飲食店で成功できる」と教えられ、東京で大正時代初期に屋台での店を始めた[13]。創業年は1912年(大正元年)[9][14]、1914年(大正3年)[5][15]、1915年(大正4年)[16]、1917年(大正6年)[13][17]の説がある。
開業当初は、上野松坂屋の脇での屋台営業であった[12][18]。「蓬莱屋」の名は、この屋台時代に客の1人が命名したもので、由来は不明である[18]。1928年(昭和3年)に店を構え、現在に至る[11][12]。現存している建物は、1948年(昭和23年)[19]、または1950年(昭和25年)の建築である[12]。
創業当初は、カツレツといえばロース肉が常識であったが[12]、当時は初代店主が貧乏であり、ヒレ肉が安価だったことから、同情した知り合いの肉屋に、ヒレ肉を用いての商売を勧められた[20][21]。このヒレカツが好評だったことから看板料理になり[12]、その後もヒレカツに拘り続けている[22]。
上野に多数存在する豚カツ屋の中でも、会話の端々に上がることが多い[23]。御徒町駅界隈の店である「ぽん多本家」「双葉」(閉店)と並んで、「とんかつ御三家」にも数えられている[9][24]。
特徴
編集メニューは、開業当時はヒレ肉のカツレツ1種類のみであり、その後にヒレを小さく切った一口カツ[25]、さらに串カツが加わった[11][26]。他に、重箱弁当「東京物語膳」[24]と、当初は店員が賄いで食べていたものを土産限定品とした「特選メンチカツ」がある[11]。肉がヒレ肉のみであることについて、3代目店主の山岡吉孝は、「創業当初からヒレ肉で通し、客もヒレ肉を目当てで来店することから、変更する理由がない」と語っている[27]。
蓬莱屋のヒレカツは、薄い衣と、厚いヒレ肉の塊が特徴である[25][28]。肉は、チルドや冷凍肉を用いずに、日本産(栃木県産[29])の新鮮なヒレ肉のみを使用している[20]。衣には細かな生パン粉が用いられているために、衣が薄く、肉の旨味を十分に味わうことができる[20]。
揚げ油は、生の脂身から毎日自家で作っており[21][22]、ラードとヘットを半々に混ぜた油を用いている[22]。2度揚げも店の特徴である[18]。最初に210度から220度の高温で1分から1分半ほど揚げて、その後に約180度の低温で時間をかけて揚げる[22]。厚いヒレ肉の塊に火を通すために、出来上がりまでは約10分を要する[16]。3代目店主は、「2度揚げは肉汁を衣の中に閉じ込めるための手法であり、戦後から始めた」と語っている[18]。また、同じ鍋で温度を変えながら揚げるより、温度を一定に保った別々の鍋で揚げた方が、客を待たせずにより多くの客に食べてもらえる、との狙いもある[20]。この2度揚げを調理法として確立させたのも、この店が最初とされる[4]。
メンチカツもまた、細かなパン粉による軽快な食感、ヒレ肉のために脂身が少なく肉本来の旨味を満喫できるとして、持ち帰りでしか味わうことのできない、「隠れた人気メニュー」との声もある[30]。定食の味噌汁も、ヒレ肉の筋と香味野菜で出汁がとられている[10]。
ソースもとんかつソースではなくウスターソースであり[20][31]、これも自家製である[11][29]。カツの付け合わせのキャベツに至るまで、材料が吟味されており[32]、キャベツのみをお代わりする客もいる[32][33]。料理以外にも、油のにおいのしない清潔な店内、汚れや乱れの無い店員の仕事着など、清潔さを評価する声もある[34]。
著名人による評価
編集映画監督の小津安二郎は、1933年(昭和8年)に店を訪れて以来、この店の常連であった[11]。小津の遺した日記にも1933年11月以降、蓬莱屋の名が多く登場しており[35]、日記によれば、「休日には国立西洋美術館で芸術鑑賞をした後に、この店で昼食をとることが定番だった」とある[9]。長期の地方ロケの前にも、必ず蓬莱屋に寄って、ヒレカツを食べてから出発したともいう[28][36]。また小津は1957年(昭和32年)の映画『東京暮色』以降は、脚本家の野田高梧の別荘である雲呼荘で脚本を執筆していたが、別荘行きの前には必ずといってよいほど蓬莱屋に立ち寄って、豚カツを堪能していたという[16][37]。この雲呼荘の滞在中には、東京から離れた地で好物と離れることから、好物の名を織り込んだ「雲呼荘小唄」という唄を作っており[38]、1番の歌詞には「蓬莱屋がなつかしや」と、蓬莱屋の名が登場している[39][40]。小津たちの撮影現場に、蓬莱屋から弁当が届けられることもあったという[19]。入院後も死去の直前まで、入院先の病院にまでこの店のヒレカツを運ばせ[9][11]、死去前日にも親戚が買いに来たとの逸話からも、この店を愛していたことが窺い知れる[41]。店の1階には、数少ない小津の色紙のレプリカが飾られている[16][19]。メニューの重箱弁当「東京物語膳」も、小津への感謝の気持ちで始められたものである[24]。小津の作品に多く登場した俳優の佐田啓二も、小津と共によく来店したという[16]。
落語家の林家正蔵は、かつては豚肉はロース肉の脂身が美味いと考えていたが[42]、蓬莱屋に来店して以来、ヒレ肉の旨味を知ったといい、「蓬莱屋は他の豚カツ屋とは一線を画する」と語っている[43]。脳科学者の茂木健一郎は、東京大学理学部物理学科に通学していた頃から、この店に通い、ヒレカツを食べ続けていると語っている[14]。茂木は、ヒレカツはビタミンB1などの栄養価が高いことに加えて、衣、肉汁、千切りキャベツのそれぞれ3つの感触と刺激が脳を活性化させ、頭がさえると主張している[14]。文芸評論家の福田和也も、ヒレカツの衣の硬さ、中の肉の柔らかさ、二度揚げによる火の通り方などを絶賛して、上野の豚カツ屋の中でも「ここが1位」と言い[15]、「前に三越で売っていたメンチカツを、死ぬ前にもう一度食べたい」とまで語っている[44]。小説家の安藤鶴夫もこの店を愛し[22]、学生時代から店に通ったと自著で述べている[45]。死去の前年にも、自著で通院のルートを述べ、「蓬莱屋で豚カツを食べるために、途中で上野広小路に寄る」と述べている[46]。旅行作家の山本鉱太郎も、蓬莱屋のヒレカツの味を「日本一」と評している[47]。
創作作品での扱い
編集小津安二郎が監督を務めた映画にも、蓬莱屋を彷彿させる台詞や場面が多く登場する[12]。映画『秋日和』の作中では、中村伸郎の演じる登場人物が「松坂屋の裏の豚カツ屋」「あの家がまだ屋台でやってた頃」という台詞があり[19]、蓬莱屋がモデルであることが示唆されている[20][48]。この映画が公開された1960年(昭和35年)の小津の日記には「とんかつ屋のセット 上野蓬莱屋主人とんかつを持ってくる」との記述があり[39]、作中での豚カツの揚げ方も蓬莱屋が指導している[32]。遺作となった『秋刀魚の味』の重要な一場面――路子がひそかに思い寄せているという三浦(吉田輝雄)に対して、路子の兄幸一(佐田啓二)が気持ちを探る場面――では、蓬莱屋の2階の8畳間を模したセットを撮影所に作り[11][12]、蓬莱屋からヒレカツを取り寄せて[16][19]、セットの中でこの2人が実際に蓬莱屋のヒレカツを食べる場面を撮影したほどである[11][12]。そのために小津映画ファンも多く訪れ[11]、座敷の写真を撮影していくファンも多い[10][12]。
豚カツの歴史を踏まえた1963年(昭和38年)の映画『喜劇 とんかつ一代』でも、森繁久彌演じるとんかつ店の店主が、上野でとんかつ店の歴史を語る場面において、「ヒレカツの元祖は松坂屋裏の蓬莱屋」と、蓬莱屋の名が登場している[28][49]。
脚注
編集注釈
編集出典
編集- ^ 木村隆志「和の美術館・博物館 名品を訪ねて アフター博物館を楽しむ 上野散策は和ものでひと息」『東京大人のウォーカー』第5巻第4号、角川マーケティング、2008年7月26日、50頁、大宅壮一文庫所蔵:200145057。
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参考文献
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