蒙武

中国戦国時代の秦の将軍

蒙 武(もう ぶ、生没年不詳)は、中国戦国時代の将軍。蒙驁の子。蒙恬蒙毅の父。秦王政(後の始皇帝)に仕えた。

経歴

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紀元前224年李信蒙恬を破った項燕が秦に侵攻してきたので、蒙武は王翦の裨将軍(副将)となってこれを破り、で楚軍の主力を壊滅させ、項燕を自決(あるいは戦死)させた。

紀元前223年、再び蒙武は王翦と共に楚を攻め、楚王負芻を捕え、楚を滅ぼした。楚に属していた土地は三つのに分けられた。

以上は史記による最も一般的な説である。

以下は『史記』秦始皇本紀に基づく。

紀元前224年、王翦と蒙武が兵を率いて楚国を攻撃し、楚軍を撃破し、楚王負芻を捕らえた。から平輿までの広大な領土を占領した。秦王政はと陳の一帯を視察した。

項燕は昌平君を楚王に立て、淮南で兵を挙げて反乱を起こした。

紀元前223年、再び蒙武は王翦と共に楚を攻めた。昌平君と項燕を戦死させ、楚を滅ぼした。

参考文献

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