葭萌関(かぼうかん、Jia meng Guan)は、中国にある地名。現在の四川省広元市昭化区に位置し、三国時代関所として有名である。名称の由来は、かつて存在した葭萌県[1]に所在したことから[2]

建安16年(211年)、益州攻略の戦役の際、劉璋から張魯討伐の依頼を受けた劉備は当初この地に駐留し、のち、劉備に託された配下の霍峻は寡兵で三年間死守した[3]

延熙16年(253年)、蜀漢費禕がこの地に駐屯している際、旧暦正月朔日(=1月1日。新暦では2月16日)の宴席にて、魏の降将である郭循(郭脩とも書かれる)に刺殺された[4]

脚注

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  1. ^ 2013年に昭化区となる。
  2. ^ 三国志遺跡-葭萌関
  3. ^   三國志 蜀書二 先主傳 (中国語), 三國志/卷32#先主 劉備, ウィキソースより閲覧。 
  4. ^   三國志 蜀書十四 蔣琬費禕姜維傳 (中国語), 三國志/卷44#費禕, ウィキソースより閲覧。