萩 (橘型駆逐艦)

橘型駆逐艦

(はぎ)は日本海軍駆逐艦[1]。仮称5517号艦、橘型(改松型)駆逐艦4番艦として舞鶴海軍工廠で建造された。

基本情報
建造所 横須賀海軍工廠[1]
運用者  大日本帝国海軍
級名 橘型駆逐艦
艦歴
計画 1944年度(昭和19年度)計画[1]
起工 1944年9月11日
進水 1944年11月27日
竣工 1945年3月1日[1]
除籍 1945年10月5日[1]
その後 1947年7月16日、イギリスへ引き渡し[1]
要目(計画値)
基準排水量 1,350 トン[2]
公試排水量 1,530 トン
全長 100.00 m[2]
最大幅 9.35 m
吃水 3.4 m[2]
主缶 ロ号艦本式ボイラー×2基[2]
主機 艦本式タービン×2基[2]
出力 19,000 馬力[2]
推進器 スクリュープロペラ×2軸[2]
速力 27.3 ノット[2]
燃料 重油 370 t[2]
航続距離 3,500 海里/18ノット[2]
乗員 211[2] - 276 名[3]
兵装
レーダー 22号電探×1基
ソナー 四式水中聴音機×1基
三式探信儀一型×1基
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艦名は植物のによる。艦名としては樅型駆逐艦の11番艦「」に続いて2代目。

艦歴

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竣工後、訓練部隊の第十一水雷戦隊(高間完少将)に編入。「」とともに3月12日に横須賀を出港して瀬戸内海に回航される[4]。その途中の3月15日に、潮岬沖で「柿」の缶管が破裂して航行不能となったため、「柿」を大阪藤永田造船所まで曳航する[5]。曳航任務後は内海西部で訓練に従事。

5月20日付で「」とともに第三十一戦隊鶴岡信道少将)第五十二駆逐隊に編入された[6]

7月24日、山口県祝島南方で対空戦闘により小破した。

終戦時はにあった。10月5日除籍[1]

12月1日。特別輸送艦に指定され、復員輸送に従事。その後、賠償艦として1947年(昭和22年)7月16日シンガポールイギリスへ引渡された。

歴代艦長

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※『艦長たちの軍艦史』369-370頁による。

駆逐艦長

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  1. 森本嘉吉 少佐 1945年3月1日-

脚注

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参考文献

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