菊池 則直(きくち のりなお)は、戦国時代武将大友氏出身で肥後国菊池氏最後(26代)の当主であった菊池義武の次男。

 
菊池則直
時代 戦国時代
生誕 不明
死没 不明
別名 十郎(通称)、則朝
主君 相良氏
氏族 菊池氏
父母 父:菊池義武
兄弟 高鑑則直、辰若(女子)
(一説には)大友親貞(菊池鎮成)
武益(主水)、武朝(弥兵衛)
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父義武と兄高鑑が従兄弟である豊後国戦国大名大友義鎮に追討を受けて殺害された際、則直は幼少の為か母と辰若(義武の娘)と共に姻戚関係である肥後の相良晴広に預けられていたため、難を逃れた。

則直には子に主水武益、その異母弟・弥兵衛武朝があり、武益の子は庄太隆充、武朝に子は無く赤坂氏より養子をとった。その後、子孫は相良人吉藩の重臣を勤めたとされる。


参考文献

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