菊水寺 (秩父市)
埼玉県秩父市にある曹洞宗の寺院
菊水寺(きくすいじ)は、埼玉県秩父市にある曹洞宗の寺院。なお、当寺の本来の名称は「大桜山長福寺」であり、宗教法人名も「宗教法人長福寺」である[1][2]が、後述の歴史的背景により秩父札所としての「菊水寺」が著名になったことから、本項では「菊水寺」を用いることとする。
菊水寺(長福寺) | |
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本堂 | |
所在地 | 埼玉県秩父市下吉田1104 |
位置 | 北緯36度1分51.2秒 東経139度2分32.2秒 / 北緯36.030889度 東経139.042278度座標: 北緯36度1分51.2秒 東経139度2分32.2秒 / 北緯36.030889度 東経139.042278度 |
山号 | 延命山(長福寺としては「大櫻山」) |
宗派 | 曹洞宗 |
本尊 | 聖観世音菩薩 |
創建年 | 奈良時代(長福寺としては「文禄元年(1592年)」) |
開山 | 行基(長福寺としては「長山賢道」) |
別称 | 大櫻山長福寺 |
札所等 | 秩父札所 第33番 |
文化財 | 菊水寺聖観音像(埼玉県指定有形文化財)、菊水寺の子返しの図、孝行和讃の図(秩父市指定有形文化財)、札所33番 延命山菊水寺(秩父市指定史跡) |
法人番号 | 8030005015124 |
歴史
編集奈良時代、行基によって開山された。かつて近くの八人峠には8人の盗賊が住み着き、追い剥ぎをしていた。そこに、とある僧侶(行基)が通りかかった。盗賊たちは身ぐるみ剥がそうとしたが、僧侶の法力で金縛りにかけられ、そして七転八倒の苦しみを味わった。盗賊たちは、遂にこの僧侶に詫びを入れる羽目となった。僧侶は、「このまま悪行を続けるならば確実に地獄に落ちる。地獄の苦しみは今回の苦しみどころではない。」と彼らの非を説き、近くの「菊水」という霊泉の場所を教え、自ら彫った観音菩薩像を与えて立ち去った。以降、彼らは改心し、観音像を草庵に納め、真っ当な生涯を送ったという。これが「菊水寺」の起源である[3]。
1569年(永禄12年)、武田氏と後北条氏の戦いにより全焼した。そのため、別当だった近くの「長福庵」という草庵に観音像を移した。1592年(文禄元年)、長山賢道によって「長福庵」から「長福寺」という寺に整備拡充された[3][4]。
当寺には「子返しの図」という絵図がある。「子返し」とは間引きのことで、新生児を絞め殺す母親の姿を描き、その残虐性を広く知らしめることで、胎児や新生児を保護しようとした。奉納者は間引きの廃絶を説いた井上如常である[3][5]。
文化財
編集交通アクセス
編集- 皆野大塚ICより車13分。
- 西武秩父駅または秩父駅より西武観光バス
- 「小鹿野車庫・栗尾ゆき」にて「泉田」下車 徒歩35分
- 「吉田総合支所・吉田元気村ゆき」にて「吉田下橋」または「吉田仲町」下車 徒歩22分
前後の札所
編集脚注
編集- ^ 埼玉県知事所轄宗教法人一覧埼玉県総務部学事課総務・宗教法人担当、33p
- ^ 国税庁法人番号公表サイト
- ^ a b c 稲葉博 著『関東古社名刹の旅(千葉・埼玉・神奈川編)』読売新聞社、1986年、146-147p
- ^ a b 札所33番 延命山菊水寺秩父市
- ^ 33番菊水寺秩父札所連合会
- ^ 埼玉県文化財目録埼玉県、58p
- ^ 菊水寺の子返しの図、孝行和讃の図秩父市
- ^ 秩父札所連合会の地図 (PDF)
参考文献
編集- 稲葉博 著『関東古社名刹の旅(千葉・埼玉・神奈川編)』読売新聞社、1986年
関連項目
編集- 弘誓院 (柏市) - 当寺の子返しの図を見て、同様の「間引きの絵馬」を奉納した。
外部リンク
編集- 33番 菊水寺 - 秩父札所 - 秩父札所連合会