菅 貞人(かん さだと、1926年大正15年)1月5日 - )は、日本の実業家[1]。旧名は韓吉昌[2]

人物

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1926年満洲軍人の子として生まれる[3]1943年満州国留学生として来日[3]。終戦後に東京・小石川になった満州国留学生会館に住み、苦学して明治大学商学部(夜間)を卒業し、出版社を経営する一方で紙の特別配給を受けて大半の紙を闇で売りさばいて利益を上げた[3][2]。その利潤を元手に高利貸しも行い、1954年頃から不動産業自動車修理業を手広く経営し、1955年北海道製糖を買収して製糖業界にも手を広げた。1959年に旧満州国籍から日本国籍に帰化した[2]1958年共和製糖を買収し瞬く間に事業を拡大、1961年にはセブンアップの関西地方での販売権を獲得(のちのチェリオコーポレーション)。1964年には中小のぶどう糖製造会社をまとめ上げて社団法人ぶどう糖工業会を創設、会長に就任し業界のリーダーにのし上がった[4]

1966年共和製糖事件が発覚し、1967年2月8日詐欺罪私文書偽造同行使罪で逮捕され、その後に贈賄罪外為法違反も加えて起訴された[5]1973年6月22日東京地裁懲役6年の実刑判決となった[6]。控訴し、1979年6月22日東京高裁で懲役4年6ヶ月となった[7]

なお1968年に経営難に陥った出版社・人物往来社の経営を引き受け、新人物往来社と社名変更した。

チェリオコーポレーションは代々菅家の人物が社長を継ぐ同族経営となっている[8]

脚注

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参考文献

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  • 田中二郎佐藤功野村二郎『戦後政治裁判史録 4』第一法規出版、1980年。ISBN 9784474121140 
  • 藤永幸治『特捜検察の事件簿』講談社現代新書、1998年。ISBN 9784061494183 
  • 日外アソシエーツ『特捜部の事件簿日本人物レファレンス事典 商人・実業家・経営者篇』日外アソシエーツ、2017年。ISBN 9784816926549 

関連項目

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