荻田孫市
荻田 孫市(おぎた まごいち)は、江戸時代初期の武将。荻田主馬(3代)の名で有名な荻田長繁の子で、早世した。
時代 | 戦国時代から江戸時代 |
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別名 | 孫十郎、助市、孫市、勝定 |
墓所 | 新潟県糸魚川市大字小見の龍光寺 |
主君 | 上杉景勝→豊臣秀次→結城秀康→松平忠直→松平光長 |
藩 | 越前北ノ庄→越後高田藩 |
氏族 | 越後荻田家 |
父母 | 父:荻田孫十郎長繁 |
兄弟 | 弟:仲右エ門直政、与五郎、主馬勝定 妹:娘(高津刑部長広室) |
経歴
編集幼少より上杉景勝に仕え、その近習となる。1594年(文禄3年)10月28日、景勝は権中納言に補任され、関白豊臣秀吉を始め諸将を招き、祝いの宴を催した。席上、秀吉が丸薬外郎を服用しようとしたため、孫市が白湯を用意したが、誤って椀を取り落とした。この失態が景勝の怒りを買い、荻田一門は上杉家を追放された。のち、結城秀康に仕えたが別家を立て、家督は弟の勝定が継いだ。
参考文献
編集- 志村平治 『荻田一族 荻田長繁、そして荻田本繁と越後騒動』 暦研、2011年2月4日発行、128頁、ISBN 978-4-903991-51-1。