荷見安
日本の農林官僚
荷見 安(はすみ やすし、1891年(明治24年)4月6日[1] - 1964年(昭和39年)2月22日[1])は、日本の農林官僚。農林次官。茨城県出身。
来歴
編集東京帝国大学法学部卒業後、内務省を経て農商務省に転じた。農務課長、米穀課長、米穀部長、初代米穀局長、馬政局長を経て1939年に農林次官。退官後は産業組合中央金庫理事長,初代全国農業協同組合中央会会長などを務めた。
米騒動への対処、米穀法の立案、米穀取引所の廃止などに携わり、退官後は組合の側から食糧管理法改正問題に対処するなど、一貫して米穀政策に関与し続け、「米の神様」の異名をとった[2]。
脚注
編集- ^ a b 『日本近現代人物履歴事典』402頁。
- ^ “農総研所蔵の特殊文庫関連文献について”. . 2014年2月3日閲覧。
参考文献
編集- 『荷見安伝』荷見安記念事業会、1967年。
- 秦郁彦編『日本近現代人物履歴事典』東京大学出版会、2002年。