荘公(そうこう)は、西周諸侯国の11代君主[2]紀元前731年から紀元前712年まで在位した[3]。姓は、名は[1]あるいは苴人[4]。弟に次代の桓公がいる[1]。9代目と10代目に関しては不明である。

荘公 姜茀(姜苴人)
11代
王朝
在位期間 紀元前731年 - 紀元前712年
姓・諱 姜茀[1]
姜苴人
諡号[1]

紀元前712年秋七月、が許に攻め入った中国語版。荘公はに亡命した。その後の行方は不明である。

脚注

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  1. ^ a b c d 資治通鑑外紀』巻四・周紀二:(桓王)八年,秋七月,伐許。壬午,入許。許荘公奔鄭荘公奉許荘公之弟許叔居許東偏。許,姜姓,与斉同祖,周武王文叔于許,以奉太岳之祀。文叔之後曰徳男;曰伯封;曰孝男;曰靖男;曰康男;曰武公;曰文公;曰荘公茀。荘公之後桓公鄭,疑即許叔也。
  2. ^ 楊善群《春秋左傳注》
  3. ^ 金栄権著 (2012.07). 周代淮河上游諸侯国研究. 鄭州:河南大学出版社. pp. 107. ISBN 978-7-5649-0686-3 
  4. ^ 春秋分記

参考文献

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荘公
の君主

不明 - 不明

先代
不明
の君主
紀元前731年 - 紀元前712年
次代
桓公